オランダでネット上で読んでいる日本の新聞(東京新聞と朝日新聞)にこのところ、日本の学校教師による教え子に対する性的嫌がらせの記事が変に目につき、特にオランダ贔屓でもありませんが、こちらの新聞ではこういうことはごくごく稀にしか出てこないように思います。
『教師の 学校内「わいせつ犯罪」が一向になくならない理由』というネット上で見つけた記事は
<224人。これは2015年度にわいせつ行為で処分を受けた公立小中高校の教員数(文部科学省調べ)だ。このうち懲戒免職者数は118人。1990年代と比べ、同行為で処分を受ける教員の数は目立って増えている。>
で始まっています。これは公立小中高校だけに関する数字ですから、私立学校、高等教育機関、各種学校まで入れたら、数はもっと増えることでしょう。しかも、これは被害者が公に訴えた場合のことで、泣き寝入りになったケースを考慮に入れたら、氷山の一角に過ぎないでしょう。
伝統的な日本社会の、儒教的倫理を背景に考えますと、これはどういうことだろう、祖国はどこまで下り坂を駆け下りていくのだろう、と身の毛がよだちます。私の育った鹿児島県の片田舎では、学校先生は村全体の尊敬を一身に集めている存在でした。
しばらく前に、ネット上で、偶然に、台湾の小学校の卒業式で「仰げば尊し」を歌っている画像が出てきました。卒業生の中には涙ぐんでいるものも少なくなく、生徒たちの間を回って肩を抱きしめる教師の手にもハンカチが握られていました。1895年に台湾が日本の植民地になってから、日本が持ち込んだ習慣なのでしょうが、これも中国系の台湾と日本が共有する文化的遺産の一部なのでしょう。ユーチューブを観ながら、私も涙をこらえるのに苦労しました。
最近の日本の学校の卒業式では「仰げば尊しは」だんだんと歌われなくなっているとか聞きましたが、それは歌詞が今の生徒たちには難渋でついていけない、ということだけでなく、先生から嫌なことをされて、この歌はとても歌う気になれない、という生徒が増えていてもおかしくない、と危惧します。実に情けない限りです。
上に引用したネットの記事は以下のサイトで全文が読めます。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/教師の 学校内「わいせつ犯罪」が一向になくならない理由/ar-BBCjSzE
2017年6月28日水曜日
2017年6月18日日曜日
イエスの目線
2010年に北ボルネオのコタキナバルのサバ神学校で新約聖書のギリシャ語初級を5週間教えさせてもらいました。学生は中国語系とマレー語系と半々でした。彼らの中にはこの必修科目をかなりの負担に感じている学生がいることが感じられ、なんとかしてやる気を起こすように心がける必要を痛感しました。ギリシャ語の冠詞を学んでいたとき、「君たちは中学で英語をやったとき、どういう場合にthe bookと言い、どういう場合にa bookと言うのかを覚えるのにすごく苦労したはずだ。君たちの母国語のどちらにも冠詞はない。ところが、ギリシャ語には定冠詞に24もの形があって、英語だったらみんなtheで訳せるんだから、本当に同情に耐えない」と言い、ルカ伝15章の有名な「放蕩息子の譬え」の購読の時間に、我が子の帰宅を待ち侘びていた父親がある日、息子が戻ってきたのに気付き、「可哀想に思って」、まだ遠くにいたのに駆け出していって、抱きかかえて接吻した、と20節に書いてあるけど、「可哀想に思って」と訳されているギリシャ語の原語は「断腸の念に駆られて」としたほうがもっといいと思う、と「断腸之念」と黒板に書いて、漢語のこの表現は紀元3世紀、古代中国の桓温(カンオン)があるとき従者を連れて旅に出、森の中を通っているとき、従者が樹の間に子猿を見つけたので、長旅の慰みにと思って捕まえて連れて歩いた。ところが、その母猿が二人に見え隠れしながら後を追い、飲まず食わずで百里余りも行ったところで疲労困憊、路上に倒れて死んだのだけど、物音に気付いた従者が引き返して猿の腹を切り裂いてみたところ、我が子のことを憂い、念ずる母親の腸は全部細かくちぎれていた、という故事に基づくものらしい、と話したところ、中国系の学生は、「先生、この話をギリシャ語で読むことでそんなに深く味わえるんだったら、24の定冠詞の形も覚えるのは苦になりません」、と言いました。
今朝祈りの時間に私はルカ7章に出ている短い話を読んだんですけど、イエス•キリストがガリラヤのナインという町を通られたとき、ある寡婦が一人息子に死なれて、その埋葬のために村の人たちと一緒に墓地へトボトボ歩いて行くのに出くわされ、「可哀想に思って」、「もう泣かなくともいいよ」と言って、息子を生き返らせてやられた、という話ですけど、そこでも、放蕩息子の譬えの場合と同じギリシャ語が使われています。そして、今朝初めて気がついたのですけど、スプランフニゾマイというこの動詞は新約聖書で合計12回出て来て、放蕩息子の譬えの場合以外は、いずれも、なにか痛ましい場面に出くわされたときイエス•キリストご自身がどう感じられたかを表現するのに使われています。たいていの場合はそばにいた人たちが受けた印象を表現していますが、一度はイエスご自身がその言葉を口にされたことになっています。自分の話を、三日間もろくすっぽ食事もせずに熱心に聞いてくれている群衆を見て、「私は断腸の思いに駆られる」と言われた(マタイ15:23)というのです。放蕩息子の譬えを語りながら、イエスはその父親と気持ちが重なられたのではないでしょうか。
2017年6月4日日曜日
衣食足りて礼節を知る
最近オランダの知人夫妻と雑談をしているとき、私たちの人生、特にいわゆる先進国、福祉国家における物欲のことに話が弾んだ。私たちは物質的にどこまで豊かになれば本当に満足できるのだろうか?私たちの物欲、貪欲には終わりがないのではないか、と思えてならない。これは、個人の人生だけでなく、団体、企業、国家についても言える。企業は毎年純益を前年比で増やしていないと、破産が目前に迫っているような錯覚に陥る。個人でも、年間収入の伸びが停滞すると、目の色を変える。子供が成長し、学費も嵩むようになれば、出費も確かに増えるから、収入は増えたほうが安心かもしれない。でも、子供も学校を終わり、社会人になり、親は退職していたらどうだろうか?使徒パウロが云ったように「食べ物と住むところがあればそれで私たちは十分としたい」(第一テモテ6:8)という人生観に根本的な欠陥があるのだろうか?私たち夫婦ももう年金生活者になって14年になる。三人の子供達もとっくに巣立って経済的には完全に独立しており、私たちからの仕送りは必要としない。また、彼らから仕送りをしてもらう必要もない。拙宅の居間兼客間に足を踏み入れられた方には一目瞭然のように、別に取り立てて言うような家具も、備品も、調度品も置いてない。もう十五、六年前に空き巣に入られた。この辺りは閑静な住宅地ということになっているので、今でも空き巣に狙われることは珍しくないらしい。しかし、私たちはその後、ただの一度も空き巣の被害には遭っていない。別に新しく、頑丈な錠を取り付けたわけでもない。家中探し回って、引き出しを開けっ放しにしてあったけど、めぼしいものが何も見つからずに、がっかりしたのか、この家に入っても時間の無駄だ、と思われたのかもしれない。それでも、私たち夫婦は、日常生活の中で惨めに思ったことはただの一度もない。医療保険料、光熱費、最低限の生活費も、多少ある預金にやたらと手を突っ込まなくとも払える、贅沢はできないし、別にしたいと思わない、それでも心身ともにまだ比較的健全で、読書、思索、私は研究も順調に続けられることを私たちの神様にただ感謝する以外ない。
戦後の祖国の全体的な姿勢は、物質的、経済的な復興に焦点が合わされ、精神的な、内面的な豊かさが犠牲にされてきたのではないだろうか。戦後処理、日本の軍国主義、侵略主義の犠牲になったアジア諸国との問題のきちんとした整理が、戦後72年経てもいまだにほとんど手付かずになっていて、国民の大多数が経済成長を最大の目標に掲げる政党を支持し続けているのも、このような視点から見るべきなのではないだろうか。何を食べ、何を飲み、何を着ようか、と心を煩わせないように、とイエス•キリストは教えられたけど、イエスは、ホームレスの人、着るものもろくすっぽなくて、真冬に公園でガタガタ震えながら、睡眠も取れない、というような人たちに向けてこの教えを説かれたのではなく、日本の現在の大多数の、中産階級に向けて語られたのではないだろうか。毎年、短期間帰郷したとき、日本のテレビのスイッチを入れると、料理番組がどのチャンネルでもあまりに多すぎてヘドが出る。
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