1941年12月7日の日本軍による犠牲者だけが念頭に置かれているのではないかもしれません。しかし、75年前の日本軍による真珠湾攻撃の米軍人、一般人に限定して考えますと、太平洋戦争末期の沖縄戦における米軍の戦死者を日本人が弔うのとは違います。真珠湾の場合は卑劣な奇襲攻撃であり、それだからこそ、日本は米国から蔑まれ、米国人はその直後からRemember Pearl Harborを掛け声として戦意を煽り続けたのでした。
日本の総理大臣として真珠湾を訪ねるのが初めてだ、として騒がれ、アメリカ側にもそれを評価しようという向きもあるようです。
アメリカ側には、日米の和解にもつなぎたい気持ちがあるようです。しかし、謝罪なしの和解は絶対に有り得ないです。安倍総理は、日本が真珠湾攻撃を敢行したことを別に悪いことをした、とは思っていないのでしょう。真珠湾につづいて日本が侵略攻撃したアジア太平洋諸国に対しても心から謝罪の気持ちは表明されていません。せいぜい同情です。ご愁傷様、です。慰霊、とはそれにほかなりません。米国の議会での安倍首相の演説も同じでした。同情なら加害者でなくても表明します。昨年8月14日の安倍声明もさして変わりはありません。昨年暮れに韓国との間に合意された所謂「慰安婦」問題についても、安倍首相が犠牲者に対して心底からお詫びの気持ちを持っているのならば、韓国大統領と会談のためにソウルを訪ねた時、犠牲者たちにお会いして、土下座して謝罪ができたはずです。また、日本大使館に面して立っている慰安婦の像の前でそれができたはずです。ただ口先だけの「外交辞令、美辞麗句」で済まされることではありません。
憲法第9条を削除し、現憲法を抜本的に改定しようという安倍政権、アメリカに右へ倣えして自衛隊をどこにでも派遣できるようにしよう、という政権の「戦争反対、世界平和」の掛け声が世界の有識者にまともに受け止められる、と思っているのだったら、情けないこと限りなしです。哀れです。
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