2016年12月29日木曜日

オバマ大統領、安倍首相真珠湾を訪問

オバマ大統領と安倍首相の真珠湾での演説

1) 安倍首相が、日本の敗戦直後から米国から多大の物的支援を得たことが敗戦の焼け跡から日本が立ち上がるのに大いに貢献したことに触れ、感謝の意を表しているのは評価します。米国は同様の援助を同じく敗戦国のドイツに対しても行い、ドイツ経済も日本と同じように目覚しい、奇跡的復興を遂げました。安倍首相はさらに言葉を続けます: 「戦後、日本が国際社会に復帰する道を拓いてくれたのは米国でした」と。しかし、日本は本当に国際社会に復帰し、ドイツと同じように受け入れられて今日に至っているでしょうか? 私は、甚だ疑わしい、と思います。その主たる理由は、日本が始めた太平洋戦争によって日本が背負い込むことになった負債がいまだにきちんと清算されていないからです。戦前と同じく、日本は今なおアジアの孤児です。近い将来にアジアにヨーロッパ連合(EU)に相当する組織が出現する可能性はほとんどありませんし、ドイツがEUの中で果たしているような指導的役割を日本が果たすような組織は現時点では考えられません。悲しい現実です。

2) 安倍首相は言葉を続けます: 「私たちを結びつけたものは、寛容の心がもたらした和解の力です」と。オバマ大統領も和解を語ります。しかし、彼ら二人は膝を交えて真珠湾に始まり、広島•長崎で終わった日米間の武力抗争の経過をたどり、自分の国が犯したところの由々しい過ちを正直に、具体的に、言葉を濁さずに認め合い、相手国に対して与えたところの甚だしい損害、損失、苦しみに対して許しを請うたことがかつてあったのでしょうか? その時初めて、和解の道程は始まるのです。でも、終点はまだです。そのような意味での和解が達成されない限り、この二人の指導者が世界の他の国々に伝えようとしている和解の「力」なるしろものは何らかの意味あるものを生み出す力に欠けています。ワシントンのホワイトハウスの報道官が「この二人の指導者の真珠湾訪問は、かつての仇敵をも最も親しい同朋に変換し得るところの和解の力の見本である」、と言ったそうですが、少し言い過ぎではないでしょうか。安倍首相のように真珠湾は「寛容と和解の象徴」である、というのは妄言です。沈没した戦艦アリゾナの艦内になお眠るところの米軍の戦死者たちの中には、これを聞いて目をむいた人がいたかもしれません。日本国民を代表して語る身でありながら、「申し訳ありませんでした」、「アイムソリー」の一言も言えない人が、仇敵日本人に対する寛容の徳を彼らに向かって説教できるのでしょうか?

3) オバマ大統領の「国や国民として、われわれはどういう歴史を受け継ぐかを選択することはできない。だが、歴史から教訓を選び取ることはできる。われわれ自身の未来像を描くのに、その教訓を生かすこともできる」、という発言は原則論としてはまさにそうなのですが、問題はわれわれがどういう結論を引き出しているか、その結論の内容です。また、「復讐よりは和解の方がより豊かな報酬をもたらす」というのも含蓄のある発言です。

4) 今回両首脳が12月28日に真珠湾で会ったというのは偶然だったのか、何か訳があったのかははっきりしません。今年の12月7日の日本の新聞に、記者が真珠湾で本年95歳の米人の老兵から、なぜ安倍首相は今日来てくれなかったのか、彼に会って話し、謝罪の言葉が聞きたかった、もし聞けたらそれを受け止めるつもりがあるのに、と不満をぶちまけられたことが出ていました。今日からちょうど1年前、日韓両国はいわゆる「慰安婦」問題についての合意に達しましたが、これは単なる偶然なのでしょうか? 昨年の共同声明では安倍首相は被害者たちに対して心からお詫びと反省の気持ちを表明する」とあり、今回は「心から永劫の、哀悼の誠を捧(ささ)げます」とあります。今年の正月、天皇皇后両陛下がフィリッピンを公式訪問された時、太平洋戦争中日本軍の性奴隷として虐待されたフィリッピン人の慰安婦たちが天皇との会見を求めたものの、マニラの日本大使館の門は彼女らに対して冷たく閉ざされたままであった、と報道されました。ごく最近、日米の五十人ほどの歴史学者たちが、今回の真珠湾訪問に関連して安倍首相に質問状を送り、「真珠湾攻撃で亡くなった米国人を慰霊するのであれば、中国や朝鮮半島、アジア諸国の戦争犠牲者も慰霊する必要があるのではないかと訴えかけている」、と指摘したことが報道されました。さらにまた、「村山首相談話を継承し発展させる会」という市民団体が、真珠湾で戦死した米兵の慰霊に出かけるのならば、その足で、シンガポール、南京、ハルピンなどの同様の慰霊碑をも訪問すべきではないか、と訴えています。安倍首相による今回の真珠湾訪問も、昨年の日韓合意も、関係した指導者たちに誠意が全くない、とは言いませんが、基本的に政治的駆け引き、便宜を多く出るものではないような印象を払拭することができません。わたしは、たとえ演説の冒頭に「パールハーバー、真珠湾に、いま私は、日本国総理大臣として立っています」、と自己紹介したとしても、「まさにこの地点において始まった戦争」(英語原文では a war that commenced in this very place)というようなことを安倍首相が口走ることが許される、とは思いません。そのかわりに、「まさにこの地点において私の祖国が始めた戦争」だったらば、彼の誠意は明確に伝わり、説得力があったに違いありません。和解という概念は単に仲良くやっていくという以上の内容を持っており、持っていなければなりません。クリスチャンの立場から、私はこの点はきちんとしなければならない、と思います。主のご誕生を祝うこの時、主は、神と私たちの間の和解、私たち人間同士の間の和解を可能ならしめるために十字架にかかって命を捨てられたのですから、その犠牲を安売りしてはならないのではないでしょうか。

村岡崇光

28.12.2016
ウーフストヘースト
オランダ




2016年12月25日日曜日

政治的駆け引きとしての真珠湾訪問

日米の歴史学者50人程が安倍首相の真珠湾訪問に関連して質問状を送付し、『真珠湾攻撃で亡くなった米国人を慰霊するのであれば、中国や朝鮮半島、アジア諸国の戦争犠牲者も慰霊する必要があるのではないかと訴えかけている。』
と、報道されています。安倍首相のみならず、彼を迎える米国側も、この出来事を日米間の政治的駆け引きとしてしか見ていない、としか思えません。日本が仕掛けた大東亜戦争を本当に悔いているのならば、日本軍による犠牲者は、質問状にある通り、米国人に限りません。
ちょうど昨年の今頃、韓国との間に締結された所謂「慰安婦」問題に関する合意書もそうでした。今年の正月天皇皇后両陛下がフィリッピンを公式訪問されたとき、フィリッピン人女性たちの中で戦時中日本兵の性欲の餌食にされた人たちが両陛下に会いたいと日本大使館に出向いたのに、大使館は受け付けようとしませんでした。日本軍の性奴隷制の犠牲者が韓国人女性に限られなかったことは既定の事実であり、日本が彼女らに対して真摯に謝罪したいのであれば、国籍の違いは問題ないはずでず。「慰安婦」問題をめぐって日韓の間が長年こじれており、それが米国の東アジア政策に困難な状況を作り出している、という認識に立って日韓の政権が太平洋の東の大国を気にしながら到達した合意であったとしか思えません。
米国も、安倍首相が謝罪しないということは、オバマ大統領が広島で謝罪しなかったことを「理解」してくれた、だったらおあいこだ、という浅薄な政治的思考が透けて見えます。相手に対して行った悪事を認め、謝罪して初めて和解は成立するはずです。

2016年12月8日木曜日

続真珠湾

今日の朝日ディジタル版がホノルルでの昨日の式典のことを報じた記事の最後に

元軍人のルー・コンターさん(95)は「安倍首相は今日の式典に来るべきだった。会って話をしたかった。首相は攻撃について謝罪するべきで、それを私は受け入れたい」と訴えた。

と結んでいますが、その通りだ、と思います。責任をうやむやにする私たち日本人の発想、姿勢の根源的な欠陥が現れています。

私は今年7月に家内に同行して、彼女の長兄の葬儀に出席するためホノルルを初めて訪れました。一日、時間をとって真珠湾に出かけ、昭和20年9月東京湾で日本の無条件降伏文書の調印式の舞台となった戦艦ミズリー号を見て回りました。その時日本人のガイドから聞いたのですが、ミズリー号が沖縄戦に参加していた時、特攻隊に攻撃され、舷側に軽い損傷を被りましたが、それだけですんだそうです。艦上に散乱している飛行機の残骸を米軍の海兵たちが海に放り込み始め、特攻機の操縦士の遺体も海に投げ込もうとしていた時、艦長のカラハンが、「彼はもう死んでおり、我々には無害である。軍務に忠実で命がけでそれに徹し、我々の艦にこんなに接近するほど操縦士としての技術も相当なものであった。きちんとした水葬をしてやるべきだ」といましめ、翌日軍楽隊も呼び出されて水葬が行われた、という話でした。

2016−12−8

2016年12月7日水曜日

安倍総理真珠湾へ

今月下旬に安倍総理が真珠湾を訪ねることが広く報道されています。目的は、犠牲者の慰霊、戦争反対、世界平和の声を上げるため、謝罪の意図はない、ということです。

1941年12月7日の日本軍による犠牲者だけが念頭に置かれているのではないかもしれません。しかし、75年前の日本軍による真珠湾攻撃の米軍人、一般人に限定して考えますと、太平洋戦争末期の沖縄戦における米軍の戦死者を日本人が弔うのとは違います。真珠湾の場合は卑劣な奇襲攻撃であり、それだからこそ、日本は米国から蔑まれ、米国人はその直後からRemember Pearl Harborを掛け声として戦意を煽り続けたのでした。

日本の総理大臣として真珠湾を訪ねるのが初めてだ、として騒がれ、アメリカ側にもそれを評価しようという向きもあるようです。

アメリカ側には、日米の和解にもつなぎたい気持ちがあるようです。しかし、謝罪なしの和解は絶対に有り得ないです。安倍総理は、日本が真珠湾攻撃を敢行したことを別に悪いことをした、とは思っていないのでしょう。真珠湾につづいて日本が侵略攻撃したアジア太平洋諸国に対しても心から謝罪の気持ちは表明されていません。せいぜい同情です。ご愁傷様、です。慰霊、とはそれにほかなりません。米国の議会での安倍首相の演説も同じでした。同情なら加害者でなくても表明します。昨年8月14日の安倍声明もさして変わりはありません。昨年暮れに韓国との間に合意された所謂「慰安婦」問題についても、安倍首相が犠牲者に対して心底からお詫びの気持ちを持っているのならば、韓国大統領と会談のためにソウルを訪ねた時、犠牲者たちにお会いして、土下座して謝罪ができたはずです。また、日本大使館に面して立っている慰安婦の像の前でそれができたはずです。ただ口先だけの「外交辞令、美辞麗句」で済まされることではありません。

憲法第9条を削除し、現憲法を抜本的に改定しようという安倍政権、アメリカに右へ倣えして自衛隊をどこにでも派遣できるようにしよう、という政権の「戦争反対、世界平和」の掛け声が世界の有識者にまともに受け止められる、と思っているのだったら、情けないこと限りなしです。哀れです。