慰安婦問題に関する日韓合意の問題性と今後の方向
日韓両政府は先週月曜日、ソウルに於いて慰安婦問題の解決について最終的、不可逆的合意に達したことが公表されました。両国の現政権はこの合意に満足であることが報道されています。
しかし、両国に於ける反応は一様ではありません。僭越ながら、この合意は本当の解決からはほど遠い、と私に思われる理由を指摘させていただきます。
(1) 誠意の問題
被害者当人の心を汲んでいません。昨年から韓国側と接触した日本の政権、外務省の職員の誰一人として韓国人犠牲者あるいは彼女達を支援する韓国の代表と会っていません。両国の外相が会った日に安倍首相が朴大統領に合意の趣旨を電話で伝える、というような姿勢は被害者の心の痛みを真摯に感じている者には出来ないことです。
また、韓国外務省の職員が、合意発表後に、複数の被害者達に直接会った時には、冷たくあしらわれ、また怒りをぶつけられたそうです。
これでは、日韓外相の共同声明に言われているような、日本側が拠出する10億円で「心の傷の癒やしのための事業を行う」というようなことは笑止千万です。
共同声明には、安倍首相は「心からおわびと反省の気持ちを表明する」とありますが、首相は昨年11月にソウルを訪問、朴大統領と慰安婦問題についても協議したとき、犠牲者と直接会って、なぜそういう気持ちを表明しなかったのでしょうか?
また、安倍首相は一方に於いて被害者が「心身にわたり癒しがたい傷」を負われた、と言いながら、他方では10億円の拠金で「全てのもと慰安婦の方々の心の傷を癒す措置を講じる」と言うのは、単に語句表現の錯誤以上のものが根底にある、としなければなりません。
北朝鮮外務省は、この合意は「政治的駆け引きの産物」である、と糾弾しています。日韓関係が慰安婦問題を巡って低迷を続けたのでは、米合衆国の東北アジア政策の推進に重大な支障を来す、という日韓両国の懸念が今回の合意達成の引き金になっている、というのは多数の識者が既に指摘している通りです。これは、問題の本質を根本的に見誤っています。北朝鮮は、犠牲者は朝鮮半島の北にもいる、と指摘しています。今回の合意が、人間の尊厳の破壊という問題の根源に迫るものであって、単に日韓米の間の政治的難題の処理以上のものであるならば、韓国以外にも何万人という犠牲者がいることを真摯に受け止めて、これと対処しなければなりません。今回の合意に鑑みて台湾の馬大統領は既に声を上げています。オランダからも発言がありました。オランダ、オーストラリアや中国だけでなく、日本に経済的に負ぶさっているがために声を潜めているアジアの国に対しても、今度こそは加害者の日本の方から問題処理に向けてイニシアティブをとることによって、日本の誠意は伝わり、われわれは名誉をいくばくか挽回できるでしょう。
共同声明文には「心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」とありますが、これも声明文が心を込めて起草されたものでない証拠です。「全て」とは誰を指しているのでしょうか? 本当にお詫びをするときは、被害者の概数ぐらいは知っていなければなりません。しかも、1991年に韓国人の金学順(キムハクスン)さんが初めて慰安婦としての自分の辛い過去を明らかにされてから、同じように名乗り出られた200数名は実際に日本軍によって性奴隷として酷使された韓国人女性のほんの一部であることは周知の事実です。大多数は、名も知れず、いろいろな理由から自分の過去を隠して、いまなお密かに苦しんでおられるか、あるいはそのまま他界されたのです。そういった何万人もの犠牲者を「全ての方々」などと十把ひとからげに扱かえるのでしょうか? 自分の過去を明かして、なお現存しておられる韓国人犠牲者は40名そこそこですが、日本の醵金によって事業が始まったからとて何百人もの犠牲者が名乗り出られるとは考えられません。
(2) 責任の問題
声明文には、慰安婦達は敗戦前の日本軍の関与による犠牲者であるから、「日本政府は責任を痛感している」とあります。日本政府とは現内閣のことでしょうか? 現日本政府が戦前の日本の行動に対する責任を表明するには、現政府の母体、また現政府を政権の座につかしめた現在の日本国民の代表からなる国会が責任を表明する必要があります。
安倍首相は、第一次安倍内閣のときも、声明文の趣旨とは裏腹な態度を公の場で表明し、現政権になってからも、犠牲者たちに対して痛恨の意を表明したことはありません。昨年8月14日の内閣の名においての首相談話でも、「歴代内閣の立場は、揺るぎないものであります」とあるのみで、首相自身によ個人的な気持ちの表現は何一つありません。
こういう首相は、政府としての責任を云々すると同時に、一個人として、こういう暗い過去の歴史を背負った一日本人としてこの問題に何年も眼をつぶって来たこと、耳を貸さなかったことを悔い、謝罪すべきです。
慰安婦制度を立案し、実施したかつての日本軍の指導者たち、またそこで慰安婦達を痛めつけた何万という日本兵達、また、戦後、オランダのBC級軍事裁判でこの問題で有罪判決を受けた被告が祀られている靖国神社に参拝したことを反省し、自分の閣僚の中に、自民党の中に同様のことをし続ける者にはその非を指摘し、最近安倍夫人が参拝されたことも恥べきでしょう。それをこれまで怠って来たことを安倍首相は反省、謝罪すべきです。日本の政治家達や右翼による事実の無視、否認、歪曲、彼女らは所詮金目当ての娼婦だったというような暴言、あるいは問題に対する無関心が犠牲者たちの生傷に塩を擦り込むようなことになったことを彼らは率直に受け止めるべきです。でなかったら、8月14日の安倍首相談話のなかの「そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい」という文言は中身の空虚な美辞麗句に堕します。
慰安所のあった無数の部隊の指揮官の中にはいまなお存命中の人もあるでしょう。合意発表からそろそろ一週間、一人として遺憾の意を表した旧軍人があったということは報道されていません。そういう人が一人でもあったら、韓国の犠牲者たちの心にどんなにか響いたことでしょう。
日本人は満州事変以来の歴史に学ぶべし、と発言された平成天皇からなにかお言葉があっても良かったのではないでしょうか。私が、2003年にソウルでかつて慰安婦として痛めつけられたという老婦人に個人的にお会いした時、彼女は、「私はお金を要求しているのではない。天皇にここに来て、謝罪してもらいたいのです」と声を大にして叫ばれました。敗戦前の日本兵はみな[皇軍」の一員、生くるも死ぬるも、これ全て陛下のためだったんですから、このハルモニの叫びは正当な訴えでした。
(3)法的責任
ごくごく一握りの例外は別として、犠牲者たちはみんな強制売春の苦しみを味わされ、日本の敗戦を生きながらえた人たちも、その後の70年間、ありとあらゆる苦渋を味わい、今も味わい続けています。狭義の強制、広義の強制というような区別は犠牲者たちにとっては一切無意味な、法科の学生の演習問題に過ぎません。狭義の強制があったことは一切疑問の余地はありません。事実です。甘い話に惹かれて、前線に到着してみたら騙されていたことが分かり、帰宅、帰国させてくれと要求しても拒否されたら、強制売春以外の何物でもありません。そして、日本軍によるこういう行為は、「醜業ヲ行ワシムル為ノ婦女子売買禁止ニ関スル国際条約」(日本は1925年に加入)、並びに国際労働機関の強制労働に関する条約(日本は1932年に批准)に明らかに抵触する不法行為であり、刑事犯罪として処罰さるべきものです。多くの女性が絶望のあまり、自ら命を絶ちました。「法殺」であり、事実上の殺人です。人間としての、女性としての尊厳を故意に奪い、その人格を甚だしく傷つけることは、相手を殺したことに他なりません。犠牲者は生きた屍と成り果てたのです。日本が法治国家として国際的に認められたいのであれば、こういった過去を無視したのでは、問題が最終的に解決した、と主張することはできません。
日本は従前に同じく、今回の交渉過程でも、韓国人売春婦問題は1965年に両国によって調印された日韓基本条約に付随する日韓請求権協定によって解決済みであるとの姿勢を崩しませんでした。しかし、そこでは強制売春、強制連行のことは一再審議されなかったことが、最近両国によって公表された関連文書から明らかです。
(4) 今後
共同声明は、この合意は不可逆的である、と明言して、双方ともに本件を今後持ち出すことに対して釘を刺しています。
しかし、問題の本当の解決は、特に加害者側が、このような不正行為、戦争犯罪が今後二度と繰り返されてはならない、という決意を表明し、その決意が実現される為の具体的な施策を採る必要があります。平成7年8月15日に発表された村山総理(当時)の談話には「過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し」云々とあります。1993年8月4日発表の河野内閣官房長官(当時)による、慰安婦問題に限定した談話には、「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と言われています。ところが、それと同日に、本件に関する日本外務省の日英両語のサイトに「慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かった。その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性がたかまり、そのような状況の下で、業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースも数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた」とあり、これは慰安婦制度を正当化しようとした試み、二枚舌です。私は2011年、2012年に当時の日本の外務大臣にこの文言の削除を考慮してもらいたい、とメールでなく、手紙を出しましたが、梨の礫で、このサイトは今日(2016.01.03)もそのまま残っています。日本の学校の歴史教科書でも慰安婦問題については今日では殆ど記述がありません。韓国政府は、このような日本の現状が抜本的に改善されることを要求し、日本政府もその決意を新たに表明すべきでした。その表明は今からでも遅くはありません。いったん表明したならば実行しなければなりません。
今回の交渉に臨むにあたって、日本政府は、ソウルの日本大使館の前の道路を挟んではす向かいに立っている慰安婦を模した少女像の撤去を想定していた、とも報道されました。ナチスへの蜂起犠牲者のユダヤ人たちを記念したワルシャワの碑の前に跪いて献花した元西ドイツ連邦首相ブラントに範をとって、安倍首相も11月にソウルを訪問したとき、この少女像の前にぬかずくべきでした。このような像は日本の大使館の威厳を害う、というのが日本側の主張ですが、何万という韓国人女性の威厳をいたく傷つけておきながら、彼女らの訴えに馬耳東風であり続けたことによってこそ日本の威厳は傷つけられたのです。この像を現在の場所に置き続けるかどうかはともかく、韓国の人たちにとって、自分たちが被った被害の象徴としてこのような像は必要なのです。日本に対する復讐心や、憎悪をあおるためではありません。この加害の歴史を封じようとする試みは絶対に許されるべきではありません。「不可逆的」合意はそういう歴史修正主義を容認するものであってはなりません。広島、長崎の原爆記念館に隣接して、私たちは自国による加害の歴史を保存した記念館を国費によって建設すべきです。韓国の慰安婦支援団体や海外の韓国人社会では、このような像をもっと建てよう、という案も考慮されている、と報道されています。日本が拠出する基金の一部がそのために使われたら、今なお無名のままでおられる犠牲者たち、さらに韓国人以外の犠牲者の方々の心の傷を癒すのに効果的かもしれません。
日本軍の性奴隷制度は戦争犯罪、人権蹂躙の最たるものですが、20世紀の前半に日本軍並びに日本国がその植民地、太平洋戦争の交戦国並びに占領地で犯した不法行為、破壊、殺戮、略奪行為は無数にあります。今回の日韓交渉は、わが国がこの自国の歴史に対して初めて向き合おうとしたもので、同じ姿勢は今後も持続され、植民地支配、戦争責任の処理に取り組み続けなければなりません。わたしたちはやっとその第一歩を踏み出したのです。他の国だってやったんだ、と言って開き直ることは恥の上塗りです。
日本がこの合意にどのように真剣に取り組むかを韓国だけでなく、世界が見守っていることでしょう。日本政府の誠意の具体的な表現として一つだけ挙げれば、日本最大の右翼団体といわれる日本会議で安倍首相は副会長、日本会議国会議員懇談会に安倍内閣の閣僚19人のうち13人までが名を連ねているといわれていますが、現内閣はこの団体ときっぱりと袂を分かつべきでしょう。
2016年1月3日
村岡崇光
ライデン大学名誉教授
オランダ
BISHOP BEISNER’S LETTER TO THE PEOPLE OF THE STANDING ROCK SIOUX RESERVATION
返信削除OCTOBER 1, 2016 BOSS
September 15, 2016
To the People of the Standing Rock Sioux Reservation:
May God’s grace and peace be with you always, dear Sisters and Brothers, and especially now in this time of great challenge. I am grateful that Deacon Lewis Sitting Panther Powell is able to be with you, representing the Episcopal Diocese of Northern California, and conveying this message of solidarity.
We stand with you because Scripture teaches us that the Creator has entrusted all humanity with the care of the earth, the beautiful home shared by all people. Together we have been given a sacred trust; in protecting your lands from harm you are helping to protect the whole earth, for the good of all.
We stand with you because the official position of the Episcopal Church calls for “the honoring of all Indian treaty rights and the right to internal autonomy and self-determination of Indian Nations and Tribes.”
We stand with you in your request for respect for sacred lands. The Episcopal Church has expressed its desire for “the preservation of burial sites and other sacred places of Indigenous Peoples” and our hearts are with you in making this demand for basic decency.
You will continue to be in our thoughts and prayers as you work for good in this crisis, peacefully but with determination. May God strengthen you and shield you, fill you with hope and courage, and help you to find justice.
Faithfully yours,
Takamitsu Muraoka
Leiden University Professor Emeritus
Dear Prof. Takamitsu,
I'm so glad to have met you in Bangkok several years ago. I'm sorry only that we did not have more time together. And I am glad that you are continuing your the good work or peacemaking and reconciliation.
Peace and all good,
Lance Woodruff
lance.woodruff@gmail.com