2009年と2015年に教えさせてもらった台北市の中華福音神学院から今年dvd版で出た映画で「50年間隠されていた秘密」(1998)と「葦の歌」(2015)を贈呈され、桂子二人で観ました。以下は、中華福音神学院に英語で出した礼状の和訳です。
ご親切にお送り下さったDVDを家内とわたくしは観させていただきました。私が貴神学校で最初に教えさせてもらった時、ある日私たちは一人のご高齢の犠牲者をご自宅に訪ねました。その方は最初の映画には登場されますが、別のにはお姿が見えません。他の多くの女性たちと同じく、彼女もその後、他界されたのかもしれません。慰安婦であったことを公式に認定されていた方は五十九人あったそうですが、今はもう二人しか存命しておられないようです。この映画を作成した台北市の婦女救援社會福祉事業基金會の職員の方でしょうが、映画の中で、少なくとも千人は台湾人女性の犠牲者があったに違いない、と言われますから、圧倒的大多数の方は、いろんな理由があったでしょうが、黙して語らず、一人で寂しく苦しみ、その辛い記憶を胸に物故されたのでしょう。私たちの戦争世代の同胞がこの無辜の、全く無防備の女性たちにこういうことをしたということを日本人として真に慚愧に堪えません。のみならず、戦後の日本がこの歴史を直視しようとせず、謝罪もせず、しかるべき補償もせずに今日に至っていることをどんなに私共が恥じているかは言葉では表現できません。最初の映画の中で、老齢のご婦人が家族の墓地にお参りし、もう鬼籍に入っておられる母上に向かって自分の過去を告白される場面は正視できませんでした。その後クリスチャンになられたという別の女性が、クリスチャンとして加害者を赦すべきであることは頭ではわかっているけど、それを実行するだけの勇気がない、と正直に告白されるのは聞いていていたたまれないくらい辛いでした。
不当に加えられた危害や損失は、加害者のみならず、被害者も、歴史から、記憶から消してはならない、というのがわたくしたちの基本的な立場ですので、上記の基金會の尽力によって昨年12月台北市に慰安婦博物館が開館したのは誠に慶賀すべきことと思われます。これは自分の辛い過去を公にされたこの少数の女性たちの勇気の表現であり、現在の台湾の指導層と彼らを支持する国民が日本政府に対して謝罪と保障の要求を突きつけているのです。他の幾つかのアジア諸国と違って、台湾には、日本に対して好意的な姿勢をとる層もかなり広いので、この博物館の建設を台湾政府が支持したことは現政府には少なからぬ勇気を要したことでしょう。あと10年もすれば、自分の過去を一般に知られていようが知られていまいが、犠牲者たちの誰一人として生きてはおられないことでしょう。しかし、そのときになっても、日本政府は彼女たちの現在の同胞に対して謝罪し、しかるべき補償をすることはできるのですから、わたくしたちは、「ああ、これでせいせいした」などと思うことは許されません。そのような生物学的問題解決は聖書の教えに照らしても受け入れられませんし、人間の尊厳に対する冒涜という一般的な観点からも受け入れられません。わたくしたち日本人は、いつの日か、全人類の審判者の前に立たされ、その傍らにはかつての台湾人慰安婦たちも座っておられるところで、有罪判決を宣告され、永久に消えることのない火の中へ放り込まれるのだろう、と思うと肌身が寒くなるどころではありません。
しかし、家内と私は、あまりにも暗い現代日本史のこの頁を決して見失わないように決意していますし、また、できるだけ多くの同胞が同じような姿勢をとり、何らかの行動を起こしてくださるようできるだけのことをしていきます。
2番目の映画の題を見たとき、「傷つけられた葦」という聖書の表現がすぐ頭に浮かびましたが、映画の最後の場面で、イザヤ書42:3「彼は傷つけられた葦を折り、消えかかっている蝋燭の芯を揉み消すような人ではない」が引用されて出てきました。そして、2014年に私がオランダ語から和訳して新教出版社から出版してもらった「折られた花:日本軍『慰安婦』とされたオランダ人女性たちの声」をも思い出しました。太平洋戦争中少なくとも百人のオランダ国籍の女性たちがインドネシアで犠牲になったことは歴史の事実です。
このDVDを私どもに届けてくださったことを心より感謝申し上げます。
村岡崇光
村岡桂子
付記
DVDに添付してあった説明書が中英二ヶ国語版で、日本語の訳がなかったのが遺憾です。
0 件のコメント:
コメントを投稿