2017年11月14日火曜日

2017年追悼記念礼拝での説教

 家内と私は長年、自宅からそう遠くないところにある英国教会、St Jamesの会員です。英本国のみならず、オーストラリア、ニュージーランドその他の、英連邦国では、毎年11月の第二日曜は追悼の日曜(Remembrance Sunday)と呼ばれて、教会だけでなくいろいろなところで、前世紀の二つの世界大戦で亡くなった兵士、一般市民を追悼するための行事が繰り広げられます。一昨日午後、BBCテレビは一時間ほどにわたって、ロンドン市中心部で9千人ほどの人が行進し、記念日に花束を捧げるところを放映しました。行進している人たちの中にはたくさんの老兵の姿もありましたが、みんな90歳以上で、車椅子を押してもらっている人もたくさんいました。一昨日の英国今日の礼拝で私は説教をしてくれるように依頼されました。英語での説教の和訳をここに貼り付けます。
                           14.11.2017
                                                                                                            オランダ、ウーフストヘースト

「私たちの神様は忘れっぽいお方だろうか?」
2017年11月12日、追悼の日曜日、フォールスホーテンの英国教会での説教
エレミヤ31:27−34; コリント後書5:16−21
村岡崇光

前世紀の二度の世界大戦で私たちが誰を、何を失ったかに想いをいたす追悼の日曜日がまた巡ってきました。第一次世界大戦では、一般市民を入れて、英国だけでも1,011,687人の死者です。第二次大戦では450、900人でした。合わせて1,462,587人になります。オランダは第一次大戦では犠牲者は出ていませんが、第二次大戦が終わった時は210,000人の戦死者を哀みました。私たちの聖ジェイムズ教会にはいろいろな国の人が関係していますから、世界全体の戦死者を見ますと、第一次大戦では15,486,153人、第二次大戦では70,000,000人の犠牲者です。客観的に正確な統計はありませんので、申し上げた数字は少なく目に見積もった推定です。第二次大戦の犠牲者数の中にはナチスに虐殺された600万人のユダヤ人は入っていません。また、戦争の直接の結果としての負傷者も含まれていません。私たちクリスチャンはどうしたら良いのでしょうか? 「平和を生み出すものは幸いである。そういう人は神の子と呼ばれよう」とイエスは言われました。ここで言われている「平和」とは、私たちと神の間の平和、あるいは隣人との平和に限らず、武力抗争、戦争が無いことをも指します。私たちは神の子ではないんでしょうか? 神の子になりたくはないんでしょうか? イエスを失望させないためには私たちは何をすべきなんでしょうか? 今やっていることでやめたほうがいいことはないんでしょうか? 私たちが持っている貴重な投票権を正しい候補者のために投じたでしょうか? 大量破壊兵器を生産している会社の株を持っていたら売り払ったでしょうか?
来年は第一次世界大戦終結100年目になります。しかし、たったの21年後には第二次世界大戦争が勃発しました。ドイツの哲学者ヘーゲルは「我々が歴史から学ぶのは我々は歴史から何も学び取っていない、ということである」と言いました。インドのガンディーも同じような発言をしました。二つの大戦を挟む20年の間に人類が学んだのは、敵を前回より能率的に、大量に殺す新しい、素晴らしい技術、武器の作り方を学んだのである」と言ったら皮肉に過ぎるでしょうか? 今年の夏、テルアビブ大学で開かれた会合の席上で、イスラエルのネタニヤフ首相は「大陸間弾道技術は我が国の安全上必須であるのみならず、結構な収入をもたらす産業である」と豪語して満場の熱狂的な喝采を浴びたそうです。こういう人が、先ほど引用しましたイエスの発言された町で国を治めているのです。なんと悲しく、情けないことでしょう!
今朝の礼拝は私たち夫婦にとっては格別な意味を持っています。追悼の日曜日に、日本人で、神学校も出ていない私に説教を依頼されたのは偶然ではないでしょう。私たちはオランダ在住すでに26年、その気になればオランダ国籍をもらえるのですが、敢えて日本国籍のままです。この日には、私たちも戦争で亡くなられた3百万の同胞、その中には私の生まれた広島、また長崎に投下されて即死された11万人の方たちに哀悼の意を捧げます。しかし、日本が始めた太平洋戦争の結果としてそれをはるかに上回る犠牲者が連合軍の兵士たち、アジア太平洋地域の人々の間に出たことを私たちは忘れられません。そういった犠牲者の中には、戦闘中に亡くなられた兵士でない人たちがあまりにも多すぎます。先月第一日曜日の礼拝のなかで、今年私が英学士院から授与されたバーキット賞についてみなさんにお話したときに、私のヴィアドロローサ、「悲しみの道」、は今から40年前の追悼の日曜日、マンチェスターで映画「クワイ川にかかる橋」をテレビで観たときに始まった、と申し上げました。日本軍が英軍捕虜たちにどんなひどい犠牲を不当に強いたかをこの時初めて知ったのでした。6万人を超える連合軍捕虜が日本軍のために泰緬鉄道建設に、恐ろしい、非人間的な状態で、国際法に違反して使役され、3万人ほどの英軍捕虜の中から6,904人の死者を出しました。18,000人余りのオランダ人捕虜の中からは3、000人近くが犠牲となりました。日本政府は、今日に至るも、公式の謝罪も補償もしていません。タイのカンチャナブリに、生き延びた捕虜たちが、犠牲となった12,621人の戦友のために記念碑を建て、一人一人の名前を刻み、一番下に「私たちはあなた方を赦すが、決して忘れることはしない」と短く書いてあります。
みなさんの中には、今日の聖書箇所はどうなっているんだろう、と訝っておられる方があるかもしれません。まことにごもっともです。私の話はエレミヤ31章に焦点を合わせます。先ほど申しました碑文のことを伝え聞いた日本の牧師さんが、「私たちの罪を赦して、あとは忘れてくださる私たちの神様ってなんて素晴らしいんだ!」と言われました。でも、本当にそうなんでしょうか? むしろ逆に、アモス8:7には「主はヤコブの誇りをさして誓われた: 私は彼らの全てのわざをいつまでも、決して忘れない」とあります。「彼らのわざ」とはイスラエルが犯した罪のことです。別な時に、神は「荒野で君たちがどんなに私を怒らせたかを記憶にとどめておき、決して忘れてはならない」と言われました(申命9:6)。私たちの神はアルファであり、オメガである、とも言われています(黙示録1:8)。つまり、歴史の第1章は神が始められ、最終章は神がしめくくられるのです。歴史の神です。私たちが犯し、その後赦していただいたことを記録したものには、当該ページに線が斜めに引いてあるかもしれませんが、訂正液で白く塗りつぶしてはないはずです。わたしたちが真心から告白して赦していただいた過去の罪を神様はまたぞろ持ち出して、私たちをいじめることはなさいません。でも、私たちの罪は消去されることはなく、変な好奇心で覗き見しようとする人の目につかないところにしまってあります。英語のForgive and forgetというのは頭韻を踏んでいて、耳障りはいいですが、聖書の教えには真っ向から対立します。神様は罪を赦して、そのあとは忘れてくださる、と思い込むとしたら、それは安っぽい恵みの教理です。私たちのために十字架上で流されたキリストの血を私たちは安売りは出来ません。この血が流された十字架は神の持っておられる二つの顔を視覚的にはっきり示しています:正義の神と愛の神です。神の正義の要求するところと神の愛の要求するところが十字架の上で交差し、出会ったのです。同じ思想は「慈愛と真実とは歩み寄り、正義と平和は手を取り合った」(詩篇85:10)にも出ています。ここの「真実」とは私たちの過去の罪のことを指しているのでしょう。こういうふうに考えますと、クワイ川のたもとの記念碑に書かれていることは聖書の教えに合致します。記念碑を建てた人たちは、私たちが被った苦しみは決して忘れられないぐらいひどいものであった、と言おうとしているだけでなく、この歴史は永久に忘れてはならない、というのでしょう。
でも、今朝のエレミヤ31章の箇所の最後には「私は彼らの罪を赦し、もはやその罪を思わない」(34節)と書いてあるのと違いませんか、と言われるかもしれません。私たちの神様はぼけ始められたんでしょうか? でも、「もはやその罪を思わない」、というのは一時的記憶喪失のことではなく、ご自分で覚えておられることに応じて行動されない、という意味です。同じことは、パロの高官について「彼はヨセフのことを思わず、忘れた」(創世40:23)についても言えます。ちょっと失念した、というのでなく、意図的に無視した、忘恩のことです。私たちの神様は、慢性のあるいは一時的な記憶喪失症を患われることはありません。神様の記憶力は完璧、無限大です。
ここで「思う」とか「覚える」とか訳されているヘブライ語の動詞は「暗記する、メモリスティックに入れておく」という意味ではなく、覚えているところに応じて行動する、という意味です。私たちは祈りを通して、神様の記憶を呼び覚まし、何かしてくださるようにお願いできます。サムソンは八方ふさがりの場に追い込まれた時、「主なる神様、私のことを覚えてください。もう一度だけ、私のことを覚え、私がこの場を乗り切れる力をください」(士師16:28)と祈りますと、神様は応答してくださり、自分のことを嘲笑って眺めていた観衆は崩れ落ちた劇場の屋根の下敷きになって全滅しました。瀕死の病の床にあったヒゼキヤ王は「主よ、私が貴方様の前でどういう生き方をしてきたか、正直に誠実に生きてきたことを覚えてください」と哀願して、男泣きに泣きました(イザヤ38:3)。すると、神様は、時計の針を後戻りさせて、王の死を15年遅らせてくださいました。主イエスも優れた例を示してくださったのではないでしょうか? 十字架上での辞世の言葉の七つのうちの一つは「エリ、エリ、レマシュバクタニ(わが神、わが神、何故我を見放し給えりや?」(マタイ27:46)でした。
私たちが自分の赦された罪の大きさを思い出す時、神様に本当に感謝することができますし、赦しの道が開かれるように、己を捨てて十字架上で死んでくださったキリストの名を心から褒め称えることができます。
記憶とは教育、学習の道でもあります。エレミヤ31章で「先祖が酸っぱいぶどうを食べたので、子孫の歯が浮くようになる」(29節)という諺が引用されています。そういうことがエレミヤの時代に教えられていたのです。しかし、この諺は「私は妬み深い神であり、先祖の罪を私を憎む者どもには第3代、いや第4代にも報いる」とモーセの十戒にある(出エジ20:11)のを誤解して、神様を、濡れ衣を着せる全く不公平なお方にしてしまっているのです。エレミヤの時代の同胞たちは神様が別なところで「父親が子供の罪のために死刑にされることがあってはならない。子供が父親の罪のために死刑にされてはいけない。死刑にされるとしたら自分の罪のためでなければならない」(申命24:16)、とおっしゃっているのを見落としたのでしょう。エレミヤが30節で云っているのがまさにそれです:「これからは死刑にされる場合は誰しもが自分の犯した不義のせいである。酸っぱいぶどうを食べれば誰しも歯が浮くのである」。ですから、親は自分の霊的な過去を子供に正しく伝え、子供は親の誤りについてきちんと教えられ、そこからしかるべき教訓を引き出さなければならないのです。歴史修正主義者は放逐されるべきです。イスラエルの学校の聖書の時間には改定もしてなければ、検閲もしてない旧約聖書を教えます。こんな話はあまり読みたくない、というようなところも少なくありません。誰かと一晩中取っ組み合って勝って故郷を目指すヤコブは深夜の格闘で相手が腿のところを殴ったので、足を引きずっていたとあり、それがためにこの話がだいぶ後になって書かれたときにも彼の子孫は動物の足のその部分は食べなかった、と書いてあります(創世32:32−33)。今のユダヤ人に取っても動物の腿の関節の上にある腰の筋はコシェルでない、として食べないでしょう。この格闘に勝ったヤコブはあまり自慢にならない「ヤコブ」というのの代わりに「イスラエル」というもっと立派な名をもらいましたけど、神様は後々まで「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と呼ばれます。イスラエル民族は確かに輝かしい歴史を誇ることができますが、その歴史にはあちこちに暗い影が射しています。
エレミヤはここで「新しい契約」について語りますが、モーセの十戒に込められている「古い契約」がこれですたるのではありません。中身は変わりません。古い契約は2枚の石の板(タブレット)に刻んでありましたが、新しい契約は私ども一人一人の心に刻まれるのです。一昔前までは、重い聖書を持って日曜礼拝に出ましたが、今は、説教が始まったら、胸のポケットから、ハンドバッグからサムスンのタブレットを出して、スイッチを入れ、「エレミヤ31」を押せば聖書の箇所がパッと目の前に現れます。エレミヤより何百年後に、イエスキリストは「私が来たのは律法と預言書を廃棄するためではなく、それを本当の意味で完全に実践するためである、と思っておいてもらいたい」(マタイ5:17)と仰せられました。
今年の初め、フィリッピンで教えさせてもらった時、生徒の中にインド人がいました。彼はマドラスの神学校で教えているんですが、フィリッピンで博士課程に入っていました。彼から、2019年に彼の神学校でヘブライ語を教えてもらいたい、と説得させられました。泰緬鉄道の建設には連合軍捕虜の他にアジア各地から連れてこられた20万人以上の強制労働者があり、その中にインド人もいたことはぼんやりとは知っていたのですが、具体的な事実を知りませんでした。数年前に封切りになった英豪合作の「レイルウェイ 運命の旅路」という映画のもとになっているエリック・ロウマックスの自叙伝を先月再読しました。スコットランド出身のこの英国兵も日本軍捕虜になって泰緬鉄道で辛酸を舐めさせられ、日本人に対する怒りと憎しみに燃えていました。その本の中に、ある時彼のいた捕虜収容所のインドのタミール人労働者たちの間にマラリヤが蔓延したのですが、日本軍の指導層が最も効果的な治療法として考えついたのは、患者を全員射殺し、死体を焼却する、というのだったそうです。みなさんお分かりの通り、私はいまでもヘブライ語やギリシャ語だけでなく、自国の歴史についても学び続けています。
ここまでのところで触れなかったことについてお話しさせていただいて締めくくることにします。不当に加えられた被害、傷、つまり罪について語りました。そういうことを行った加害者に焦点を合わせました。しかし、犠牲者も自分が被った被害を記憶する必要があると思います。ここで申し上げている被害は、津波とか地震などのような、人間の手には負えない天災のことではなく、第三者によって意図的に加えられた不正行為のことです。過去に舐めさせられた苦痛はあっさり忘れ、水に流し、前向きの姿勢でいく、たとえ加害者が未だに悔いて謝罪することをしなくても、いい顔してあげ、赦して、恨みは忘れ、仲良くしていきたい、というのはもっともな人情です。精神療法としては素晴らしい効果を発揮するかもしれません。復讐したい、という本能的な衝動を乗り越えられる、というのは賞賛に値することです。でも、正義の神様はそういう解決法をよしとされません。「人間の罪を本当に赦せるのは神様だけと違いますか?」とイエス様に抗議したパリサイ人たちはある意味では正しかったのです。どんなに辛くとも、加害者と被害者は一緒に、勇気をもって、誠実に過去に向き合ったうえで、一方が他方を赦して初めて本物の和解が成立します。

ドイツの故ワイツゼッカー大統領はナチス党員で戦争犯罪で裁判にかけられた父を持つ人でしたが、ドイツ敗戦40年目の1985年5月8日、ドイツ国会で「荒野の40年」という有名な演説をした時、18世紀のユダヤ人ラビから引用しながら、「忘れようとすれば捕囚はそれだけ長引くだけである。救いの本当の鍵は記憶にある」、と言いました。この文句はエルサレムにあるナチスによるユダヤ人大量虐殺を記念するヤドヴァッシェームの出口のところの碑に刻まれています。この原則は、加害者のみならず、被害者も心に刻んでおく必要があります。

2017年10月24日火曜日

私のこれまでの発表論文・著書

  これまで60年近く、与えられた時間、資産のかなりの部分を研究、著作にかけてきました。その営みに対する責任をとるという意味でも、これまで私が日本語で書いたもので公に出版されたものにどういうものがあるかを網羅的に公表することにしました。これまでも、世界的な道場で仕事をしてきましたが、日本語の著作は多少はあり、それを通して日本のキリスト教会、関連学会、あるいは一般読者との交流を求めようとしてきたことを読み取っていただけるかと思います。

  ここに公表した情報は本日(2017年10月24日)時点で該当するものを網羅しています。ごく少数ですが、日本で発表されたものの中に英文のものもありますが、ここには出しませんでした。

出版発表作品
(日本語の著作に限定)

 村岡崇光

I) オリジナル、非翻訳

Ia) 単行本
+ 土岐健治 「イエスは何語を話したか? 新約時代の言語状況と聖書翻訳についての考察」: II 「イエスと聖書翻訳 タルグム」, pp. 93-122. 東京:教文館、2016。

Ib) 単行本中あるいは叢書の一部
「士師たちの時代」、関根正雄(監修)『聖書の世界』 第2巻, 旧約 II, pp. 67-124; 「エズラ・ネヘミヤ時代」 第3巻, 旧約 III, pp. 177-216, 308-13, 「マカベア時代」, pp. 217-302, 313-15. 東京:講談社, 1970.
日本聖書学研究所編:「聖書外典偽典」(9巻) 「第一エズラ書」 1.19-66, 299-318; 「ベン・シラの知恵」 2.67-207, 361-510; 「ヨベル書」 4.3-158, 293-338, 「エチオピア語エノク書」 159−292, 339-89、 「シリア語バルク黙示録」 5.67-154, 367-402、 「使徒たちの手紙」  9.39-82, 397-422, 「預言者イザヤの殉教と昇天」 167-203, 446-67, 「ペテロの黙示録」 205−34, 468-74. 東京:教文館, 1975-82。
「シリア教会」、前嶋信次+(編)『オリエント史講座』 3「渦巻く宗教」, pp. 177-199; 「エチオピア教会」、pp. 290-304. 東京:学生社、昭和1982。
「七十人訳聖書」, 井筒俊彦+(編)『東洋思想』 I 147-86. 東京:岩波書店、1988。
「聖書の言語」、pp. 13-34, 鍋谷堯爾+(監修)「聖書神学事典」。東京:いのちのことば社、2010。
「アララク、エブラ、オストラカ、カトナ、ギルガメシュ叙事詩、楔形文字、クムラン文書、シロアム碑文、聖刻文字、聖書の言語(旧約)、聖書の言語(新約)、トーラー、粘土板、ヘルメス文書、ミシュナ、ムラトリ断片、モアブの碑石、ラス・シャムラ、ロゼッタ碑石」、泉田昭+(編)「新聖書事典」。東京:いのちのことば社、2014。

Ic) 論文
「パレスチナ系ユダヤ人アラム語の研究」、日本聖書学研究所編『聖書の思想・歴史・言語:関根正雄教授還暦記念論文集』, pp. 203-33. 東京:山本書店、1972.
「『ベン・シラの知恵』和訳に寄せて」 『福音主義神学 8 (1977)』 22−41。
「後期古典ベブライ語における名詞文」、日本聖書学研究所編「聖書の使信と伝達:関根正雄先生喜寿記念論文集」, pp. 318-38. 東京:山本書店、1989。
「古典ヘブライ語意味論研究の最近の動向」、『旧約釈義研究』(EXEGETICA) 9 (1998) 37-45.

II) 翻訳
ジェームズ・M・ストーカー「キリスト伝」 < James M. Stalker, The Life of Jesus Christ (1879). 東京:いのちのことば社, 1959, 2015.
ジェームズ・M・ストーカー「パウロ伝」 < James M. Stalker, The Life of St. Paul (1884). 東京:いのちのことば社, 1963.
舟喜順一監修 「聖書注解ー旧新約聖書全1巻」「エレミヤ」 pp. 617-649, 「使徒行伝」 pp. 915-57, 「ペテロの手紙I, II」 pp. 1158-79; 共訳(有賀寿)「箴言」 pp. 519-41, (村瀬俊夫)「マルコ」 pp. 819-54, (清信慎子)「ピリピ」 pp. 1058-65. 東京:みくに書店、1966.
ジェームズ・M・ストーカー「キリストの最期:主の裁判と死についての瞑想」 < James M. Stalker, The Trial and Death of Jesus Christ – A Devotional History of our Lord’s Passion (1879). 東京:いのちのことば社, 1968, 2007.
シュムエル・ヨセフ・アグノン「丸ごとのパン; 操の誓い; テヒッラ; イドとエナム; 永遠に」 ノーベル賞文学全集15, pp. 215-397 < Shmuel Yosef Agnon, Pat shelema, Shevu’at ’emunim, Tehilla, Ido ve-Enam, ‘Ad ‘olam. 東京:主婦の友社. 1971.
R.E. クレメンツ 「近代旧約聖書研究史―ヴェルハウゼンから現代まで」 (聖書の研究シリーズ) < R.E. Clements, A Century of Old Testament Study (Lutterworth Press: Guildford and London, 1976). 東京:教文館、1978。
H.H. ベンサソン 「ユダヤ民族史」 < H.H. Ben-Sasson, History of the Jewish People (London, 1977), 3:中世篇I、4:中世篇II。東京:六興出版,1977.
アハロン・アッペルフェルド「バーデンハイム 1939」 < A. Appelfeld, Badenheim ‘ir nofesh (1975). 東京:みすず書房, 1996.
「ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記」. 東京:岩波書店、1997.
A. コーヘン 「タルムード入門 I」 < A. Cohen, Everyman’s Talmud (London, 1932). 東京:教文館, 1997.
関根正雄編「旧約聖書外典」上 (講談社文芸文庫)、「第一マカベア書」, pp. 15-130. 東京:講談社, 1998.
マルゲリート・ハーマー「折られた花:日本軍『慰安婦』ととされたオランダ人女性たちの声」 < Marguerite Hamer - Monod de Froidville, Geknakte bloem: Acht vrouwen vertellen hun verhaal over Japanse militaire dwangprostitutie (Delft, 2013). 東京:新教出版社, 2013.

「私のヴィア・ドロローサ:『大東亜戦争』の爪痕をアジアに訪ねて」. 東京:教文館, 2014.

2017年10月10日火曜日

バーキット賞受賞

みなさん

最近私の身の回りに起こったことをお知らせしたく思います。

実は、三ヶ月ほど前に、まったく予期しない連絡を英国学士院から受けとりました。フランシス•クローファッド•バーキット Francis Crawford Burkitt(1864−1935)は新約聖書の本文並びに東方教会の研究で目覚ましい貢献をしたケンブリッジ大学の教授でしたが、その業績を記念するために、聖書学の分野で著しい貢献をした学者にこのメダルを英国学士院が出すことになり、1925年から旧約学と新約学隔年で、今年は旧約学にメダルが出る年でした。
一昨日(木曜)の夕方、ロンドンの英国学士院で私のヘブライ語学並びに七十人訳(旧約聖書の古いギリシャ語訳)研究を極めて重要な業績を認めて、Burkitt medalという賞を受け取るための授賞式に出席しました。人文学関係の色々な分野の20名ほどの受賞者も同席しておられました。受賞者は一人2分の挨拶をすることが許され、二人までは同伴者がいても良いということで、妻と、ロンドンにいる娘が同席しました。私の英語での挨拶の和訳は:

「私の学者としての生涯は1970年に英国マンチェスター大学のセム語講師として任命された時にさかのぼりますが、その年の11月第2日曜の夕方、テレビのスイッチを入れたところBBC2が「戦場にかける橋」という有名な映画を放映していました。祖国の歴史のこの暗いページに気がついたのはこの時が初めてでした。三ヶ月ほど前に、英学士院から今年のバーキット•メダルを授与することになったという驚くべき通知をいただいきましたが、過去の受賞者の名前を辿って行った時、私は、チャールズ•ウェズリ作詞の有名な賛美歌の替え歌を書いてみたい強い衝動に駆られ、こういうものを考えました:「イギリス人に計り知れない痛みを与え、多くを過酷な死に追いやった民族の子孫である私がバーキット•メダルをいただけるなどということが可能なのでしょうか? 私ごときがこの栄誉にふさわしいとお考えくださったとは、これは驚くべき恵みとしか言えません」。英学士院の会員の中には、ご自分の父を、叔父を、あるいは祖父をこの戦争犯罪の犠牲者としてなくされた方がおられてもおかしくありません。このメダルを頂戴したことで、私がこれまで歩んできた聖書語学、文献学というヴィアドロローサを今後も歩み続ける覚悟がさらに固まりました。でも、一人でではなく、妻子達の支援を得つつ、上から、『村岡、使命完了』という声がかかるまで歩み続けるつもりです。誠にありがとうございました」

時間の制限もありこれ以上は言えませんでしたし、列席者の大部分が英国人で詳しく言わなくてもわかっていただけただろうという事情もありました。でも、少し敷衍します。
映画「戦場にかける橋」は1957年の米英合作で、日本人俳優早川雪洲も出演しましたが、太平洋戦争中、日本軍が、国際法を無視して、連合軍の捕虜を使役してタイからビルマに及ぶ全長415キロの鉄道(泰緬鉄道)を建設するという難工事で、その過程で膨大な犠牲者が出ました。英国、オーストラリア、米国、オランダの捕虜合計61,811人が使役され、うち12,621人死亡。英国兵だけでも、30,131人中6,904人死亡。このほかにも、正確な統計はないものの、20万をゆうに超える強制労働者が周辺の東南アジアから連行され、連合軍のそれをはるかに上回る死者が出た、と推測されています。この映画は、その線路の沿線でクワイ河に橋をかける工事に焦点を合わせています。英連邦王国では、今もなお、毎年11月第2日曜は「追悼の日曜日」と言われて、前世紀の二つの大戦での戦死者を追悼することになっており、それに関連したいろいろな行事が繰り広げられます。

授賞式に続くレセプションのとき、英国人の出席者の何人かが声をかけてくださり、私の挨拶にとても感銘を受けた、と言ってくださいました。その後、メールで同じような感想を伝えてこられた英国人も何人かあります。

私は、この受賞は、単に私個人の業績を英学士院が評価してくれた、ということだけではないのではないか、と思います。過去の受賞者の名前を見て気づいたのは、欧米の学者の名前は散見しましたが、アジア人での受賞者はこれまでに一人もなかった、ということでした。私個人の業績はもっぱら英語で発表されていますが、日本語のものも数点あります。現代語からの翻訳は除いても、たとえば、聖書外典、偽典(教文館1975)中の一部、岩波聖書(1997)中のダニエル、エズラ、ネヘミア書、論文数点。欧米に留学、博士号を取得して帰国されたり、博士論文や論文を英独仏語で発表される方が少なくない日本だけでなく、韓国その他、アジアの国々でも聖書の学問的な研究の水準が上がりつつあります。

挨拶の中に出てきますウェズリーの賛美歌は「賛美歌第二編」230番「わが主を十字架の」です。また、「ヴィアドロローサ」とは、イエスが磔の刑を宣告されてから刑場までご自分の十字架を担って歩かれた道を指す「悲しみの道」を意味するラテン語ですが、2003年にライデン大学を定年退職して以来、毎年、最低5週間、アジアでボランティアとして私の専門の科目を教えさせてもらっていることを日本聖書協会が評価してくれて、2014年聖書事業功労者として表彰された時に教文館から「私のヴィアドロローサ:『大東亜戦争』の爪痕をアジアに訪ねて」と題して出版された拙著の題に使った表現です。イスラエル留学のために日本を離れてすでに53年になりますが、国籍は今なお日本にあります。学問と政治は分けておいたほうが良いのではないか、と言ってくださる方もたまにありますが、私は学者である前に人間、日本人である、というのが私の立場です。

挨拶の中に、家族による支援に触れましたが、妻はお茶の水女子大で化学を学び、職業婦人としての道も選択できましたが、妻として、また、2年半おきに、しかも外国で生まれた三人の子供の母として、家庭の主婦に徹してきました。2009年出版の私の七十人訳辞書は彼女に捧げられており、「私のことをこんなに長いこと我慢してくれ、また私のために、私と共にこんなに苦労した妻桂子へ」と書きました。また、子供たちは、祖父母に甘えることもできず、イギリス(10年)、オーストラリア(11年)、そしてオランダというふうに私の職業的使命のために国から国へと渡り歩かされました。聖書語学並びに聖書の古代訳の研究者としての私は東京教育大時代の故関根政雄先生、ヘブライ大学での指導教官故ハイム•ラビン先生など、多数の先生、同僚、大学、研究所にお世話になりましたが、2011年出版の「クムラン•アラム語文法」は今はなき父母に献じました:「一人息子で長男の私が長年にわたって外国に住んで仕事をすることを辛抱してくれ、それがためにこの世での最期のお別れもできなかった不肖の息子より」、と書きました。


この賞には賞金はなく、青銅製の直径7センチの丸いメダルで、一面には「知の根源である神の言葉が私の歩みを導いてくれた」とあり、もう一面には聖書の一ページが開かれていて、「神の言葉は生きており、現に働いている」という聖句がラテン語で刻まれています。

2017年9月21日木曜日

対話とは?

 安倍首相が現在開催中の国連で演説し、

対話による問題解決の試みは一再ならず、無に帰した。なんの成算があって我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのか。必要なのは対話ではなく圧力だ。」

と発言した、と報道されています。でも、北鮮のキム氏と膝を交えて「対話」をするために、安倍首相をはじめ誰かが北鮮に出向いたことはありません。また、キム氏とどこか中立の土地で話しませんか、と声をかけた、というような記憶もありません。ここで必要なのは本当の対話です。しかし、これまであったのは、脅迫のやりとりでしかありませんでした。

21.09.2017

2017年9月17日日曜日

林えいだい氏逝く

   北九州を中心に長年活躍してこられたノンフィクション作家林えいだいさんが9月1日83歳で他界された。林さんとは、オランダ人で太平洋戦争中にインドネシアで日本軍に不当な苦しみを受けた人たちに関する取材でお会いした事が数回ある。オランダ人の他にも、朝鮮人や、台湾の高砂族に対する加害の歴史を犠牲者に直接会い、被害現場に足を運んで書かれた著作が多い。林さんの生涯のモットーは「過去の歴史に学ぶ事をしない民族は確実に滅亡の道を歩んでいる」であった。

   ここしばらく、日本のみならず、世界の情報機関から、北朝鮮をめぐるニュースがふんだんに流れ、日本には、ロケットの危機を真剣に憂慮している人たちが少なくないようである。日本を遠く離れて住む私がこういう事を言うのも気が引けないでもないけど、日本が滅亡するとしたら、それは朝鮮半島から飛んでくるロケットのせいではなく、戦後72年、依然として自分たちが始めた大東亜戦争のこと、その結末が何を教えているのかを学ぼうとせず、きちんと責任をとらないところから来るのではないだろうか。最近の国連安全保障理事会で北朝鮮に対する制裁が審議された時、米国は、石油の補給の全面停止を提案し、日本もそれに同調した。そのニュースを読みながら、トランプ大統領も、安倍首相も、日米両国が共有している歴史を知らない事にただ呆れるほかなかった。当時の連合国は米合衆国主導で日本に対する石油輸出の全面禁止を1941年8月に宣言したことが、日本が米国に攻撃を仕掛ける極めて便利な口実になった、ということは日米両国の多くの人が知っている初歩的な歴史の事実ではないのだろうか。幸いにも、安保理事会は、最終的には、当初の米国の案をかなり薄めた案を採択した。 

   3年前に、戦争中インドネシアにいたオランダ系の女性たちで日本軍の性奴隷となって言語に絶する苦しみを味わわされた女性たちの証言をもとにした本がマルゲリート・ハーマーによって書かれたものが出版され、私はそれをオランダ語から和訳して「折られた花:日本軍『慰安婦』とされたオランダ人女性たちの声」と題して、新教出版社から出してもらった。数日前に、ハーマーさんとある会合で会った時、この本が近々中国語に訳されて出版される事になった、と言われ、お祝いの言葉を申し上げ、オランダ語から訳せる人が見つかったんだろうか、と尋ねたところ、私の和訳から翻訳するそうだ、と言われた。中国で有名になりたいわけでは全くないけど、日本人で、日本現代史のこの暗い部分に真剣な関心を持つ日本人がいる事を中国の人たちが知ってくれる事は嬉しい事である。帰宅してから、数年前に買った班(バン)忠義著、「ガイサンシーとその姉妹たち」(2006年、梨の木舎出版)を再読した。著者は1958年に中国に生まれ、現地の大学で日本語を学び、その後、日本に留学して、日本人女性と結婚し、今なお日本在であるが、ひょんなことから、戦時中中国大陸で日本兵に性的屈辱を受けた初老の中国人女性数人と日本で知り合い、彼女らの故郷である山西省(北京の南西)に何度も足を運んで、犠牲者たちに会い、なかでも、当時山西省一の美人の令名の高かったガイサンシー(蓋山西)という、これも日本兵に散々に痛めつけられた女性を個人的に知っている人たちと会ったのであった。班さんがこの目的で最初に帰国した時は、彼女は故人となっていた。読みながら、手が震え、涙で目が曇る事が何度となくあった。犠牲者たちや、現地の古老たちの口から、問題の日本軍部隊の隊長の名前も確定でき、また、班さんは加害者の元日本兵をも自宅に訪ねて、証言を聞いた。しかし、戦後、監禁された中国人女性たちを陵辱した兵隊、指揮官の誰一人としてその責任を問われる事なく今日に至っている。彼らの総指揮官であった元帥陛下も責任を問われなかった。この本を再読している最中に、この本の事をグーグルしたところ、2014年に封切られた「黎明の眼」という中国映画にぶち当たり、妻も一緒に見たけれど、涙なしには見られなかった。中国人の中にも万を超える犠牲者がったのではないか、と推定されている。映画は犠牲者のおばあさんが南京の南京虐殺記念館の別館として最近できた慰安婦問題に焦点を絞った展示を見ている途中気絶するところから始まっている。私たちも、昨年南京を再訪した時に、この資料館にも行った。その時、1942年に公演された中国のオペラ「秋子」の背景になっている悲劇の女性のことは初めて知った。結婚直後に慰安婦として強制的に中国へ連れてこられたのであるが、召集令状を突きつけられて夫も中国戦線にわたり、ある日、駐屯地の慰安所で、足を踏み入れた部屋で自分の愛妻と鉢合わせになった、という実話を基にした作品である。「黎明の眼」の最後の場面を見て私は頭をコンピューターのスクリーンにぶっつけそうになった。大多数の中国人犠牲者が登場した後に、日本から慰安婦として連れてこられた女性が、ある夜自分の部屋に入ってきた若い日本兵から翌日、死にに行くに等しい作戦で出兵する事になっている、と聞かされて、気の毒に思い、本当に親身になって、精一杯「慰める」のであるが、事が終わって、彼の出身地を尋ねてみたところ、彼が小学生の頃に別れたっきりになっていた実の弟である事が判明したのであった。これも作り話のようには聞こえなかった。自分が日本人である事に絶望しそうな気がした。

17.09.2017

2017年8月28日月曜日

日本人の無責任体制と大川小学校の犠牲者に関する問題を一流英国新聞が取り上げる

先週24日に、英国の一流新聞として知られるガーディアン紙(The Manchester Guardian)がその記者の一人、ロイド・パリー(Richard Lloyd Parry)の筆になる「波の下に沈んだ学校:日本の津波の想像を絶する悲劇」(The school beneath wave: the unimaginable tragedy of Japan's tsunami)と題する記事を掲載しました。記者は宮城県石巻市釜谷にある市立大川小学校の犠牲者の遺族や関係者にも過去何年にもわたって度々会って話を詳しく聞いてこの長い記事をまとめたものです。

津波が襲った時、小学校の校庭には先生たち十一人と生徒七十八人がいたそうですが、学校の裏にある高い丘に避難する代わりに、低地に向かったために津波にもろにぶつかり、先生十人、生徒七十四人が死亡という大惨事に至りました。東北地方には他にも津波に襲われた学校があったのに、他のところではたった一人の生徒が犠牲になった、これは広く知られている事実です。昨年10月26日、仙台地裁は、遺族の親たちが、避難のための適切な措置が取られなかったとして、宮城県と石巻市に損害賠償を求めて訴訟を起こしたことを受けて、原告の主張を認めて、県と市に総額14億3000万円の賠償金の支払いを命じました。

裁判に先立つ調査や、公聴会でも、哀悼の意は表されたものの、誰一人として自分の過失を認め、非を悔いて、遺族に謝罪するということは一切ありませんでした。校長を含む学校側も、市の教育委員会、県の担当者、誰一人として責任を認めなかったというのです。責任の所在を明確にせず、うやむやにして済ませ、責任者の名を正式に公表するということをせず、金で問題を片付けようとしたわけです。

一昨年12月28日に日韓の間で合意された慰安婦問題の処理も同じです。加害者の日本側からのきちんとした、公式の謝罪はありませんでした。その時の共同声明の中で安倍首相は「心からおわびと反省の気持ちを表明する」とありますが、なんとなく空々しく聞こえてしようがありません。本気ならば、数ヶ月前に時の朴大統領と会うためにソウルを訪問した際に、まだ生きておられる犠牲者に会ってちゃんと謝り、日本大使館の真向かいに立っている慰安婦像の前にぬかずくこともできたはずです。また、犠牲者が他界された時には、遺族の反対がない限り、ソウルの日本大使がその葬儀に出席するよう配慮することもできるはずです。日本側からお渡しした10億円は小銭ではないから、今後この件については一切問題にしないようしてもらいたいという姿勢でした。日本政府が本当に謝罪するつもりならば、国会決議で慰安婦制度の不正、罪悪性を明確に認め、謝罪の言葉を入れるのがすじではないでしょうか。

太平洋戦争中、在留日系人12万人余りが敵性国人として米国各地の強制抑留所に閉じ込められ過酷な生活を強いられましたが、1988年、ドナルド・レーガン大統領の時、米国議会はこれが非人間的な人種差別政策であったことを認め、全員に一人2万ドルずつを賠償金として支払い、レーガン大統領が自ら署名した謝罪の手紙を一人一人に送った、と言われていますが、ここで日米の違いはあまりにも際立っています。

2017年8月1日火曜日

低下する一方の日本語能力

安倍首相をはじめ、政治家たちが国会で発言する時、漢字の発音がお粗末だ、という記事がある、と言って妻が見せてくれました。外国に半世紀以上住んだ者には気になります。もう10年以上前に、小学校5年生の子供が、カール•ブッセの有名な詩を明治時代に上田敏が名訳し、発表したものを、現代語に翻訳して、その言わんとするところを説明するようにという宿題を持って帰って音を上げている母親がインターネットで救助を求め、その回答が四つ出ていたけど、いずれも情けないもの。

私訳をここに敢えて載せます。

山のあなたの 空遠く
幸住むと 人のいふ
噫われひとと 尋めゆきて
涙さしぐみ かへりきぬ
山のあなたに なほ遠く
幸住むと 人のいふ

高いあの山よりもっと遥か先に
幸せがある、と言われました。
ああ、私は大勢の人達と一緒に、探しに行きましたが、
涙ながらに戻ってきました。
あの山より、もっともっと遥か先に
幸せがある、と言われました。