2019年12月14日土曜日

安倍首相の真珠湾訪問が道徳教科書に載る

 妻のフェイスブックに誰かからの情報で、2016年末の安倍首相の真珠湾訪問のことが道徳の教科書に載っている、と伝えられてきました。私は、吐き気を催しました。この訪問を徳の模範として持ち上げる文部官僚の知性を疑います。
 2016年12月28日にこの場で書かせてもらったことをご参考までに下に貼り付けます。

14.12.2019


オバマ大統領、安倍首相真珠湾を訪問

オバマ大統領と安倍首相の真珠湾での演説

1) 安倍首相が、日本の敗戦直後から米国から多大の物的支援を得たことが敗戦の焼け跡から日本が立ち上がるのに大いに貢献したことに触れ、感謝の意を表しているのは評価します。米国は同様の援助を同じく敗戦国のドイツに対しても行い、ドイツ経済も日本と同じように目覚しい、奇跡的復興を遂げました。安倍首相はさらに言葉を続けます: 「戦後、日本が国際社会に復帰する道を拓いてくれたのは米国でした」と。しかし、日本は本当に国際社会に復帰し、ドイツと同じように受け入れられて今日に至っているでしょうか? 私は、甚だ疑わしい、と思います。その主たる理由は、日本が始めた太平洋戦争によって日本が背負い込むことになった負債がいまだにきちんと清算されていないからです。戦前と同じく、日本は今なおアジアの孤児です。近い将来にアジアにヨーロッパ連合(EU)に相当する組織が出現する可能性はほとんどありませんし、ドイツがEUの中で果たしているような指導的役割を日本が果たすような組織は現時点では考えられません。悲しい現実です。

2) 安倍首相は言葉を続けます: 「私たちを結びつけたものは、寛容の心がもたらした和解の力です」と。オバマ大統領も和解を語ります。しかし、彼ら二人は膝を交えて真珠湾に始まり、広島•長崎で終わった日米間の武力抗争の経過をたどり、自分の国が犯したところの由々しい過ちを正直に、具体的に、言葉を濁さずに認め合い、相手国に対して与えたところの甚だしい損害、損失、苦しみに対して許しを請うたことがかつてあったのでしょうか? その時初めて、和解の道程は始まるのです。でも、終点はまだです。そのような意味での和解が達成されない限り、この二人の指導者が世界の他の国々に伝えようとしている和解の「力」なるしろものは何らかの意味あるものを生み出す力に欠けています。ワシントンのホワイトハウスの報道官が「この二人の指導者の真珠湾訪問は、かつての仇敵をも最も親しい同朋に変換し得るところの和解の力の見本である」、と言ったそうですが、少し言い過ぎではないでしょうか。安倍首相のように真珠湾は「寛容と和解の象徴」である、というのは妄言です。沈没した戦艦アリゾナの艦内になお眠るところの米軍の戦死者たちの中には、これを聞いて目をむいた人がいたかもしれません。日本国民を代表して語る身でありながら、「申し訳ありませんでした」、「アイムソリー」の一言も言えない人が、仇敵日本人に対する寛容の徳を彼らに向かって説教できるのでしょうか?

3) オバマ大統領の「国や国民として、われわれはどういう歴史を受け継ぐかを選択することはできない。だが、歴史から教訓を選び取ることはできる。われわれ自身の未来像を描くのに、その教訓を生かすこともできる」、という発言は原則論としてはまさにそうなのですが、問題はわれわれがどういう結論を引き出しているか、その結論の内容です。また、「復讐よりは和解の方がより豊かな報酬をもたらす」というのも含蓄のある発言です。

4) 今回両首脳が12月28日に真珠湾で会ったというのは偶然だったのか、何か訳があったのかははっきりしません。今年の12月7日の日本の新聞に、記者が真珠湾で本年95歳の米人の老兵から、なぜ安倍首相は今日来てくれなかったのか、彼に会って話し、謝罪の言葉が聞きたかった、もし聞けたらそれを受け止めるつもりがあるのに、と不満をぶちまけられたことが出ていました。今日からちょうど1年前、日韓両国はいわゆる「慰安婦」問題についての合意に達しましたが、これは単なる偶然なのでしょうか? 昨年の共同声明では安倍首相は被害者たちに対して心からお詫びと反省の気持ちを表明する」とあり、今回は「心から永劫の、哀悼の誠を捧(ささ)げます」とあります。今年の正月、天皇皇后両陛下がフィリッピンを公式訪問された時、太平洋戦争中日本軍の性奴隷として虐待されたフィリッピン人の慰安婦たちが天皇との会見を求めたものの、マニラの日本大使館の門は彼女らに対して冷たく閉ざされたままであった、と報道されました。ごく最近、日米の五十人ほどの歴史学者たちが、今回の真珠湾訪問に関連して安倍首相に質問状を送り、「真珠湾攻撃で亡くなった米国人を慰霊するのであれば、中国や朝鮮半島、アジア諸国の戦争犠牲者も慰霊する必要があるのではないかと訴えかけている」、と指摘したことが報道されました。さらにまた、「村山首相談話を継承し発展させる会」という市民団体が、真珠湾で戦死した米兵の慰霊に出かけるのならば、その足で、シンガポール、南京、ハルピンなどの同様の慰霊碑をも訪問すべきではないか、と訴えています。安倍首相による今回の真珠湾訪問も、昨年の日韓合意も、関係した指導者たちに誠意が全くない、とは言いませんが、基本的に政治的駆け引き、便宜を多く出るものではないような印象を払拭することができません。わたしは、たとえ演説の冒頭に「パールハーバー、真珠湾に、いま私は、日本国総理大臣として立っています」、と自己紹介したとしても、「まさにこの地点において始まった戦争」(英語原文では a war that commenced in this very place)というようなことを安倍首相が口走ることが許される、とは思いません。そのかわりに、「まさにこの地点において私の祖国が始めた戦争」だったらば、彼の誠意は明確に伝わり、説得力があったに違いありません。和解という概念は単に仲良くやっていくという以上の内容を持っており、持っていなければなりません。クリスチャンの立場から、私はこの点はきちんとしなければならない、と思います。主のご誕生を祝うこの時、主は、神と私たちの間の和解、私たち人間同士の間の和解を可能ならしめるために十字架にかかって命を捨てられたのですから、その犠牲を安売りしてはならないのではないでしょうか。

村岡崇光

28.12.2016
ウーフストヘースト
オランダ

2019年9月21日土曜日

著書、学術論文

私のこれまでの発表論文・著書

  これまで60年近く、与えられた時間、資産のかなりの部分を研究、著作にかけてきました。その営みに対する責任をとるという意味でも、これまで私が日本語で書いたもので公に出版されたものにどういうものがあるかを網羅的に公表することにしました。これまでも、世界的な道場で仕事をしてきましたが、日本語の著作は多少はあり、それを通して日本のキリスト教会、関連学会、あるいは一般読者との交流を求めようとしてきたことを読み取っていただけるかと思います。

  ここに公表した情報は本日(2019年9月21日)時点で該当するものを網羅しています。ごく少数ですが、日本で発表されたものの中に英文のものもありますが、ここには出しませんでした。
9(日本語の著作に限定)

 村岡崇光

I) オリジナル、非翻訳

Ia単行本
+ 土岐健治 「イエスは何語を話したか? 新約時代の言語状況と聖書翻訳についての考察」: II 「イエスと聖書翻訳 タルグム」, pp. 93-122. 東京:教文館、2016。

Ib単行本中あるいは叢書の一部
「士師たちの時代」、関根正雄(監修)『聖書の世界』 第2巻, 旧約 II, pp. 67-124; 「エズラ・ネヘミヤ時代」 第3巻, 旧約 III, pp. 177-216, 308-13, 「マカベア時代」, pp. 217-302, 313-15. 東京:講談社, 1970.
日本聖書学研究所編:「聖書外典偽典」(9巻) 「第一エズラ書」 1.19-66, 299-318; 「ベン・シラの知恵」 2.67-207, 361-510; 「ヨベル書」 4.3-158, 293-338, 「エチオピア語エノク書」 159−292, 339-89、 「シリア語バルク黙示録」 5.67-154, 367-402、 「使徒たちの手紙」  9.39-82, 397-422, 「預言者イザヤの殉教と昇天」 167-203, 446-67, 「ペテロの黙示録」 205−34, 468-74. 東京:教文館, 1975-82。
「シリア教会」、前嶋信次+(編)『オリエント史講座』 3「渦巻く宗教」, pp. 177-199; 「エチオピア教会」、pp. 290-304. 東京:学生社、昭和1982。
「七十人訳聖書」, 井筒俊彦+(編)『東洋思想』 I 147-86. 東京:岩波書店、1988。
「聖書の言語」、pp. 13-34, 鍋谷堯爾+(監修)「聖書神学事典」。東京:いのちのことば社、2010。
「アララク、エブラ、オストラカ、カトナ、ギルガメシュ叙事詩、楔形文字、クムラン文書、シロアム碑文、聖刻文字、聖書の言語(旧約)、聖書の言語(新約)、トーラー、粘土板、ヘルメス文書、ミシュナ、ムラトリ断片、モアブの碑石、ラス・シャムラ、ロゼッタ碑石」、泉田昭+(編)「新聖書事典」。東京:いのちのことば社、2014。

Ic論文
「パレスチナ系ユダヤ人アラム語の研究」、日本聖書学研究所編『聖書の思想・歴史・言語:関根正雄教授還暦記念論文集』, pp. 203-33. 東京:山本書店、1972.
「『ベン・シラの知恵』和訳に寄せて」 『福音主義神学 8 (1977)』 22−41。
「後期古典ベブライ語における名詞文」、日本聖書学研究所編「聖書の使信と伝達:関根正雄先生喜寿記念論文集」, pp. 318-38. 東京:山本書店、1989。
「古典ヘブライ語意味論研究の最近の動向」、『旧約釈義研究』(EXEGETICA) 9 (1998) 37-45.

II) 翻訳
ジェームズ・M・ストーカー「キリスト伝」 < James M. Stalker, The Life of Jesus Christ (1879). 東京:いのちのことば社, 1959, 2015.
ジェームズ・M・ストーカー「パウロ伝」 < James M. Stalker, The Life of St. Paul (1884). 東京:いのちのことば社, 1963.
舟喜順一監修 「聖書注解ー旧新約聖書全1巻」「エレミヤ」 pp. 617-649, 「使徒行伝」 pp. 915-57, 「ペテロの手紙I, II」 pp. 1158-79; 共訳(有賀寿)「箴言」 pp. 519-41, (村瀬俊夫)「マルコ」 pp. 819-54, (清信慎子)「ピリピ」 pp. 1058-65. 東京:みくに書店、1966.
ジェームズ・M・ストーカー「キリストの最期:主の裁判と死についての瞑想」 < James M. Stalker, The Trial and Death of Jesus Christ – A Devotional History of our Lord’s Passion (1879). 東京:いのちのことば社, 1968, 2007.
シュムエル・ヨセフ・アグノン「丸ごとのパン; 操の誓い; テヒッラ; イドとエナム; 永遠に」 ノーベル賞文学全集15, pp. 215-397 < Shmuel Yosef Agnon, Pat shelema, Shevu’at ’emunim, Tehilla, Ido ve-Enam, ‘Ad ‘olam. 東京:主婦の友社. 1971.
R.E. クレメンツ 「近代旧約聖書研究史―ヴェルハウゼンから現代まで」 (聖書の研究シリーズ) < R.E. Clements, A Century of Old Testament Study (Lutterworth Press: Guildford and London, 1976). 東京:教文館、1978。
H.H. ベンサソン 「ユダヤ民族史」 < H.H. Ben-Sasson, History of the Jewish People (London, 1977), 3:中世篇I、4:中世篇II。東京:六興出版,1977.
アハロン・アッペルフェルド「バーデンハイム 1939」 < A. Appelfeld, Badenheim ‘ir nofesh (1975). 東京:みすず書房, 1996.
「ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記」. 東京:岩波書店、1997.
A. コーヘン 「タルムード入門 I」 < A. Cohen, Everyman’s Talmud (London, 1932). 東京:教文館, 1997.
関根正雄編「旧約聖書外典」上 (講談社文芸文庫)、「第一マカベア書」, pp. 15-130. 東京:講談社, 1998.
マルゲリート・ハーマー「折られた花:日本軍『慰安婦』ととされたオランダ人女性たちの声」 < Marguerite Hamer - Monod de Froidville, Geknakte bloem: Acht vrouwen vertellen hun verhaal over Japanse militaire dwangprostitutie (Delft, 2013). 東京:新教出版社, 2013.

「私のヴィア・ドロローサ:『大東亜戦争』の爪痕をアジアに訪ねて」. 東京:教文館, 2014.
「聖書を原語で読んでみてはじめてわかること」東京:いのちのことば社. 2019.

2019年5月11日土曜日

天皇の交代:追記

天皇の交代

オランダの代表的な全国紙、日刊紙であるNRCが五月二日の論説に平成天皇についての記事を発表しました。私はしばらく前からディジタル版しか読んでいないのですが、近所のオランダ人がこれをどう思うか、とその記事を回してくれました。それに対する私の回答の和訳をここに紹介します。

   記事の中にある以下の箇所に疑義を呈したい。
   「周知の通り、彼は謝罪をするところまではいかなかったが、彼の父の在任中に帝国軍隊が日本帝国の名において行ったところの多くの人権侵害に対して「悔悛」の情を表明したことは評価して良い」
   これは私には初耳です。いつどこで平成天皇が「悔悛」の情を表明されたのか知りたく思います。この文脈においては「悔悛」という表現は正しくない、と愚考します。オランダ語の表現に「悔悛は罪の後に来る」というのがあります。平成天皇が「私は心に痛みを覚えます」という発言を何度となくされたことは周知のところです。12年ほど前にシンガポールに短期滞在した時、現地の英字新聞に、平成天皇が公式訪問された時の記事が出ていました。晩餐会の席上で、「前の戦争中に、シンガポールの皆さんが本当に辛い思いをされたことを考えますと胸が痛みます」、と発言された、とありました。これだったら、シンガポールを公式訪問したノルウェーの大統領でも言える、人道的な同情心の表明ではないだろうか。もし陛下が「私の父の兵隊たちのおかげで。。。」とおっしゃっておられたら、現地での反響はすざましかっただろうし、そういうニュースが日本で報道されていたら、現在の日本の政治的状況は全く違ったものになっているのではなかろうか、と思います。
   何年か前に平成天皇の韓国訪問が話題になていた時、当時の韓国の大統領が「ただ、心が痛みます、と言うために来られるのだったら、ご足労には及びません」、と発言されました。
   NRCのこの論説委員は日本政府が外国人向けに頒布した天皇の発言の英訳を引用しているのかもしれません。敗戦70年に当たって安倍首相が行なった声明があります。時の安倍内閣の合意のもとに行われた声明でした。その中に「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました」、とありますが、「反省」という単語が、同時に発表された駐日外国人報道関係者向けの英文にはここでオランダ人論説委員が使っている単語に相当する英語のremorseになっています。しかし、日本語の「反省」は、全国サッカー大会の決勝戦で負けたので、監督が選手全員を招集して反省会をしよう、というような時にも使われるもので、戦犯のような人道に悖る行為を自覚して改悛の情を表明する、というのとは全く違います。

                         2019年5月6日

ここまで書いてから、今日、平成天皇が敗戦70年の8月15日の全国戦没者追悼式の席上で、初めて「反省」という言葉を使われ、その後の三回の追悼式でもそうされたことを知りました。
   『ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
と、仰いました。これの公式の英訳にはdeep remorseと出ています。前記のオランダの新聞の論説委員は多分このことを指しているのか、と判断されますが、この発言は日本兵の戦死者と一般市民の中の犠牲者のことが言われているのである、ということは見落としてはならない、と私は考えます。
                        2019年5月11日

2019年5月10日金曜日

日本語による出版物

私のこれまでの発表論文・著書

  これまで60年近く、与えられた時間、資産のかなりの部分を研究、著作にかけてきました。その営みに対する責任をとるという意味でも、これまで私が日本語で書いたもので公に出版されたものにどういうものがあるかを網羅的に公表することにしました。これまでも、世界的な道場で仕事をしてきましたが、日本語の著作は多少はあり、それを通して日本のキリスト教会、関連学会、あるいは一般読者との交流を求めようとしてきたことを読み取っていただけるかと思います。

  ここに公表した情報は本日(2017年10月24日)時点で該当するものを網羅しています。ごく少数ですが、日本で発表されたものの中に英文のものもありますが、ここには出しませんでした。

出版発表作品
(日本語の著作に限定)

 村岡崇光

I) オリジナル、非翻訳

Ia) 単行本
+ 土岐健治 「イエスは何語を話したか? 新約時代の言語状況と聖書翻訳についての考察」: II 「イエスと聖書翻訳 タルグム」, pp. 93-122. 東京:教文館、2016。

Ib) 単行本中あるいは叢書の一部
「士師たちの時代」、関根正雄(監修)『聖書の世界』 第2巻, 旧約 II, pp. 67-124; 「エズラ・ネヘミヤ時代」 第3巻, 旧約 III, pp. 177-216, 308-13, 「マカベア時代」, pp. 217-302, 313-15. 東京:講談社, 1970.
日本聖書学研究所編:「聖書外典偽典」(9巻) 「第一エズラ書」 1.19-66, 299-318; 「ベン・シラの知恵」 2.67-207, 361-510; 「ヨベル書」 4.3-158, 293-338, 「エチオピア語エノク書」 159−292, 339-89、 「シリア語バルク黙示録」 5.67-154, 367-402、 「使徒たちの手紙」  9.39-82, 397-422, 「預言者イザヤの殉教と昇天」 167-203, 446-67, 「ペテロの黙示録」 205−34, 468-74. 東京:教文館, 1975-82。
「シリア教会」、前嶋信次+(編)『オリエント史講座』 3「渦巻く宗教」, pp. 177-199; 「エチオピア教会」、pp. 290-304. 東京:学生社、昭和1982。
「七十人訳聖書」, 井筒俊彦+(編)『東洋思想』 I 147-86. 東京:岩波書店、1988。
「聖書の言語」、pp. 13-34, 鍋谷堯爾+(監修)「聖書神学事典」。東京:いのちのことば社、2010。
「アララク、エブラ、オストラカ、カトナ、ギルガメシュ叙事詩、楔形文字、クムラン文書、シロアム碑文、聖刻文字、聖書の言語(旧約)、聖書の言語(新約)、トーラー、粘土板、ヘルメス文書、ミシュナ、ムラトリ断片、モアブの碑石、ラス・シャムラ、ロゼッタ碑石」、泉田昭+(編)「新聖書事典」。東京:いのちのことば社、2014。

Ic) 論文
「パレスチナ系ユダヤ人アラム語の研究」、日本聖書学研究所編『聖書の思想・歴史・言語:関根正雄教授還暦記念論文集』, pp. 203-33. 東京:山本書店、1972.
「『ベン・シラの知恵』和訳に寄せて」 『福音主義神学 8 (1977)』 22−41。
「後期古典ベブライ語における名詞文」、日本聖書学研究所編「聖書の使信と伝達:関根正雄先生喜寿記念論文集」, pp. 318-38. 東京:山本書店、1989。
「古典ヘブライ語意味論研究の最近の動向」、『旧約釈義研究』(EXEGETICA) 9 (1998) 37-45.

II) 翻訳
ジェームズ・M・ストーカー「キリスト伝」 < James M. Stalker, The Life of Jesus Christ (1879). 東京:いのちのことば社, 1959, 2015.
ジェームズ・M・ストーカー「パウロ伝」 < James M. Stalker, The Life of St. Paul (1884). 東京:いのちのことば社, 1963.
舟喜順一監修 「聖書注解ー旧新約聖書全1巻」「エレミヤ」 pp. 617-649, 「使徒行伝」 pp. 915-57, 「ペテロの手紙I, II」 pp. 1158-79; 共訳(有賀寿)「箴言」 pp. 519-41, (村瀬俊夫)「マルコ」 pp. 819-54, (清信慎子)「ピリピ」 pp. 1058-65. 東京:みくに書店、1966.
D.M. ロイドジョーンズ 「教会の権威」東京 みくに書店、1966.
D.M. ロイドジョーンズ 「教会一致の基礎」東京 みくに書店、1967.
ジェームズ・M・ストーカー「キリストの最期:主の裁判と死についての瞑想」 < James M. Stalker, The Trial and Death of Jesus Christ – A Devotional History of our Lord’s Passion (1879). 東京:いのちのことば社, 1968, 2007.
シュムエル・ヨセフ・アグノン「丸ごとのパン; 操の誓い; テヒッラ; イドとエナム; 永遠に」 ノーベル賞文学全集15, pp. 215-397 < Shmuel Yosef Agnon, Pat shelema, Shevu’at ’emunim, Tehilla, Ido ve-Enam, ‘Ad ‘olam. 東京:主婦の友社. 1971.
R.E. クレメンツ 「近代旧約聖書研究史―ヴェルハウゼンから現代まで」 (聖書の研究シリーズ) < R.E. Clements, A Century of Old Testament Study (Lutterworth Press: Guildford and London, 1976). 東京:教文館、1978。
H.H. ベンサソン 「ユダヤ民族史」 < H.H. Ben-Sasson, History of the Jewish People (London, 1977), 3:中世篇I、4:中世篇II。東京:六興出版,1977.
アハロン・アッペルフェルド「バーデンハイム 1939」 < A. Appelfeld, Badenheim ‘ir nofesh (1975). 東京:みすず書房, 1996.
「ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記」. 東京:岩波書店、1997.
A. コーヘン 「タルムード入門 I」 < A. Cohen, Everyman’s Talmud (London, 1932). 東京:教文館, 1997.
関根正雄編「旧約聖書外典」上 (講談社文芸文庫)、「第一マカベア書」, pp. 15-130. 東京:講談社, 1998.
マルゲリート・ハーマー「折られた花:日本軍『慰安婦』ととされたオランダ人女性たちの声」 < Marguerite Hamer - Monod de Froidville, Geknakte bloem: Acht vrouwen vertellen hun verhaal over Japanse militaire dwangprostitutie (Delft, 2013). 東京:新教出版社, 2013.

「私のヴィア・ドロローサ:『大東亜戦争』の爪痕をアジアに訪ねて」. 東京:教文館, 2014.

2019年5月6日月曜日

天皇の交代とオランダ

   オランダの代表的な全国紙、日刊紙であるNRCが五月二日の論説に平成天皇についての記事を発表しました。私はしばらく前からディジタル版しか読んでいないのですが、近所のオランダ人がこれをどう思うか、とその記事を回してくれました。それに対する私の回答の和訳をここに紹介します。

   記事の中にある以下の箇所に疑義を呈したい。
   「周知の通り、彼は謝罪をするところまではいかなかったが、彼の父の在任中に帝国軍隊が日本帝国の名において行ったところの多くの人権侵害に対して「悔悛」の情を表明したことは評価して良い」
   これは私には初耳です。いつどこで平成天皇が「悔悛」の情を表明されたのか知りたく思います。この文脈においては「悔悛」という表現は正しくない、と愚考します。オランダ語の表現に「悔悛は罪の後に来る」というのがあります。平成天皇が「私は心に痛みを覚えます」という発言を何度となくされたことは周知のところです。12年ほど前にシンガポールに短期滞在した時、現地の英字新聞に、平成天皇が公式訪問された時の記事が出ていました。晩餐会の席上で、「前の戦争中に、シンガポールの皆さんが本当に辛い思いをされたことを考えますと胸が痛みます」、と発言された、とありました。これだったら、シンガポールを公式訪問したノルウェーの大統領でも言える、人道的な同情心の表明ではないだろうか。もし陛下が「私の父の兵隊たちのおかげで。。。」とおっしゃっておられたら、現地での反響はすざましかっただろうし、そういうニュースが日本で報道されていたら、現在の日本の政治的状況は全く違ったものになっているのではなかろうか、と思います。
   何年か前に平成天皇の韓国訪問が話題になていた時、当時の韓国の大統領が「ただ、心が痛みます、と言うために来られるのだったら、ご足労には及びません」、と発言されました。
   NRCのこの論説委員は日本政府が外国人向けに頒布した天皇の発言の英訳を引用しているのかもしれません。敗戦70年に当たって安倍首相が行なった声明があります。時の安倍内閣の合意のもとに行われた声明でした。その中に「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました」、とありますが、「反省」という単語が、同時に発表された駐日外国人報道関係者向けの英文にはここでオランダ人論説委員が使っている単語に相当する英語のremorseになっています。しかし、日本語の「反省」は、全国サッカー大会の決勝戦で負けたので、監督が選手全員を招集して反省会をしよう、というような時にも使われるもので、戦犯のような人道に悖る行為を自覚して改悛の情を表明する、というのとは全く違います。

                         2019年5月6日

2019年2月10日日曜日

平成天皇の海外訪問

  先日、朝日新聞の編集委員の一人である北野氏から、昨年の10月3日から今月の4日まで、何度か朝日新聞に平成天皇の海外訪問について書かれた記事を親切に送ってもらいました。何年か前に、天皇のオランダ訪問について取材に来られた時に訪問を受けたことがあります。
  その読後感を送りましたので、ここに貼り付けます。

北野さん
先日ご親切にお送りくださった一連の記事を拝読しました。

極めてデリケートな問題を根気よく追求された努力を多とします。最初のものが去年の10月3日掲載ですから、この連載ものを朝日が掲載し続けられた、ということには少し救われるような気がします。
北野さん自身随行されたわけではなく、関係者から直接、間接に情報を集められたもの、と推察します。

いくつか気についたこと、気にかかることを以下に書きとめます。

10・13日の記事に、村山談話の翌日藤井、沼田両氏が英国のテレビで、「英国人元捕虜も対象と首相が明言した」ということですが、この二人がそう発言したのであれば、そう長くもない談話をきちんと読んでいなかった、ということで、日本外交の恥です。BBCの担当者も談話の英語版を読まなかった、ということです。

その記事の最後に駐日英国大使を務められたコータツツイさんの発言が引用されていますが、胸にズシンと響きます。「今の天皇には戦争に直接の責任はない。しかし私の国民の間に感情のわだかまりがあるなら、国民とともに和解に取り組むことは、天皇のあるべき姿ではないか」、と言われたというのですよね。これが私にとっても最大の問題です。もう10年以上前にシンガポールに行った時、しばらく前に国賓として彼地を訪問された平成天皇が、天皇のためにもうけられた晩餐会の席上で、「戦争中にシンガポールの方の多くが大変苦しまれたことを思いますと深い心の痛みを覚えます」と発言された、ということが現地の英語の新聞記事に出ていました。同じ姿勢はいたるところで表明されたことが、北野さんのいくつかの記事にも出ています。私は、苛立たしさを禁じ得ませんでした。隔靴搔痒の感を免れません。右翼は天皇が謝罪するのは憲法違反である、というに決まっていますが、天皇ご自身がそう思っておられて、「戦争中にシンガポールの方の多くが私の父の兵隊たちのために大変苦しまれたことを思いますと深い心の痛みを覚えます」と仰っていたら、現地の反響は物凄かったでしょうし、そういう報道が東京に伝わっていたら、現今の日本の政治地図は全く違っているでしょうし、敗戦後70年以上経ってもなおアジアの孤児という惨めな姿からはとっくに脱し、安保理事会の常任理事国も何期か務めていたことでしょう。

基本的に同じことが昭和天皇についても言えます。外国や外国人の被害者に対してのみならず、日本国民に対しても、一度も謝られたことはないです。2年前に専門のヘブライ語やギリシャ語を無償で教えさせてもらうために、フィリッピンの人たちの前で話しましたが、1973年に、敗戦を知らずにフィリッピンのジャングルを逃げ回っていた小野田少尉が帰国した時、かつての戦友の一人が、「小野田君、一度皇居の庭に行ってごらん。ひょっとしたら、散歩に出てこられた陛下にお会いできるかも」と勧めたところ、天皇の赤子は「そんなことになったら、陛下はどうしてよいか戸惑われるかもしれない」、と言って断った、というのです。彼が戦友の言う通りにして、陛下にぱったり出会い、「閣下、小野田でございます」と切り出し、天皇が「小野田、悪かったな。赦してくれ」と言っておられたら、平成天皇も、一月のGlobeに書いておられる「御父の御心を」別な意味で心とされたことでしょう。世界戦略的な視野から、マッカーサが極東軍事裁判に昭和天皇を召喚しないことに決めたのは致命的な誤りでした。

長くなりました。


Takamitsu MURAOKA
村岡崇光