天皇の交代
オランダの代表的な全国紙、日刊紙であるNRCが五月二日の論説に平成天皇についての記事を発表しました。私はしばらく前からディジタル版しか読んでいないのですが、近所のオランダ人がこれをどう思うか、とその記事を回してくれました。それに対する私の回答の和訳をここに紹介します。
記事の中にある以下の箇所に疑義を呈したい。
「周知の通り、彼は謝罪をするところまではいかなかったが、彼の父の在任中に帝国軍隊が日本帝国の名において行ったところの多くの人権侵害に対して「悔悛」の情を表明したことは評価して良い」
これは私には初耳です。いつどこで平成天皇が「悔悛」の情を表明されたのか知りたく思います。この文脈においては「悔悛」という表現は正しくない、と愚考します。オランダ語の表現に「悔悛は罪の後に来る」というのがあります。平成天皇が「私は心に痛みを覚えます」という発言を何度となくされたことは周知のところです。12年ほど前にシンガポールに短期滞在した時、現地の英字新聞に、平成天皇が公式訪問された時の記事が出ていました。晩餐会の席上で、「前の戦争中に、シンガポールの皆さんが本当に辛い思いをされたことを考えますと胸が痛みます」、と発言された、とありました。これだったら、シンガポールを公式訪問したノルウェーの大統領でも言える、人道的な同情心の表明ではないだろうか。もし陛下が「私の父の兵隊たちのおかげで。。。」とおっしゃっておられたら、現地での反響はすざましかっただろうし、そういうニュースが日本で報道されていたら、現在の日本の政治的状況は全く違ったものになっているのではなかろうか、と思います。
何年か前に平成天皇の韓国訪問が話題になていた時、当時の韓国の大統領が「ただ、心が痛みます、と言うために来られるのだったら、ご足労には及びません」、と発言されました。
NRCのこの論説委員は日本政府が外国人向けに頒布した天皇の発言の英訳を引用しているのかもしれません。敗戦70年に当たって安倍首相が行なった声明があります。時の安倍内閣の合意のもとに行われた声明でした。その中に「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました」、とありますが、「反省」という単語が、同時に発表された駐日外国人報道関係者向けの英文にはここでオランダ人論説委員が使っている単語に相当する英語のremorseになっています。しかし、日本語の「反省」は、全国サッカー大会の決勝戦で負けたので、監督が選手全員を招集して反省会をしよう、というような時にも使われるもので、戦犯のような人道に悖る行為を自覚して改悛の情を表明する、というのとは全く違います。
2019年5月6日
ここまで書いてから、今日、平成天皇が敗戦70年の8月15日の全国戦没者追悼式の席上で、初めて「反省」という言葉を使われ、その後の三回の追悼式でもそうされたことを知りました。
『ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。』
と、仰いました。これの公式の英訳にはdeep remorseと出ています。前記のオランダの新聞の論説委員は多分このことを指しているのか、と判断されますが、この発言は日本兵の戦死者と一般市民の中の犠牲者のことが言われているのである、ということは見落としてはならない、と私は考えます。
2019年5月11日
2019年5月11日土曜日
2019年5月10日金曜日
日本語による出版物
私のこれまでの発表論文・著書
これまで60年近く、与えられた時間、資産のかなりの部分を研究、著作にかけてきました。その営みに対する責任をとるという意味でも、これまで私が日本語で書いたもので公に出版されたものにどういうものがあるかを網羅的に公表することにしました。これまでも、世界的な道場で仕事をしてきましたが、日本語の著作は多少はあり、それを通して日本のキリスト教会、関連学会、あるいは一般読者との交流を求めようとしてきたことを読み取っていただけるかと思います。
ここに公表した情報は本日(2017年10月24日)時点で該当するものを網羅しています。ごく少数ですが、日本で発表されたものの中に英文のものもありますが、ここには出しませんでした。
ここに公表した情報は本日(2017年10月24日)時点で該当するものを網羅しています。ごく少数ですが、日本で発表されたものの中に英文のものもありますが、ここには出しませんでした。
出版発表作品
(日本語の著作に限定)
村岡崇光
I) オリジナル、非翻訳
Ia) 単行本
+ 土岐健治 「イエスは何語を話したか? 新約時代の言語状況と聖書翻訳についての考察」: II 「イエスと聖書翻訳 タルグム」, pp. 93-122. 東京:教文館、2016。
Ib) 単行本中あるいは叢書の一部
「士師たちの時代」、関根正雄(監修)『聖書の世界』 第2巻, 旧約 II, pp. 67-124; 「エズラ・ネヘミヤ時代」 第3巻, 旧約 III, pp. 177-216, 308-13, 「マカベア時代」, pp. 217-302, 313-15. 東京:講談社, 1970.
日本聖書学研究所編:「聖書外典偽典」(9巻) 「第一エズラ書」 1.19-66, 299-318; 「ベン・シラの知恵」 2.67-207, 361-510; 「ヨベル書」 4.3-158, 293-338, 「エチオピア語エノク書」 159−292, 339-89、 「シリア語バルク黙示録」 5.67-154, 367-402、 「使徒たちの手紙」 9.39-82, 397-422, 「預言者イザヤの殉教と昇天」 167-203, 446-67, 「ペテロの黙示録」 205−34, 468-74. 東京:教文館, 1975-82。
「シリア教会」、前嶋信次+(編)『オリエント史講座』 3「渦巻く宗教」, pp. 177-199; 「エチオピア教会」、pp. 290-304. 東京:学生社、昭和1982。
「七十人訳聖書」, 井筒俊彦+(編)『東洋思想』 I 147-86. 東京:岩波書店、1988。
「聖書の言語」、pp. 13-34, 鍋谷堯爾+(監修)「聖書神学事典」。東京:いのちのことば社、2010。
「アララク、エブラ、オストラカ、カトナ、ギルガメシュ叙事詩、楔形文字、クムラン文書、シロアム碑文、聖刻文字、聖書の言語(旧約)、聖書の言語(新約)、トーラー、粘土板、ヘルメス文書、ミシュナ、ムラトリ断片、モアブの碑石、ラス・シャムラ、ロゼッタ碑石」、泉田昭+(編)「新聖書事典」。東京:いのちのことば社、2014。
Ic) 論文
「パレスチナ系ユダヤ人アラム語の研究」、日本聖書学研究所編『聖書の思想・歴史・言語:関根正雄教授還暦記念論文集』, pp. 203-33. 東京:山本書店、1972.
「『ベン・シラの知恵』和訳に寄せて」 『福音主義神学 8 (1977)』 22−41。
「後期古典ベブライ語における名詞文」、日本聖書学研究所編「聖書の使信と伝達:関根正雄先生喜寿記念論文集」, pp. 318-38. 東京:山本書店、1989。
「古典ヘブライ語意味論研究の最近の動向」、『旧約釈義研究』(EXEGETICA) 9 (1998) 37-45.
II) 翻訳
ジェームズ・M・ストーカー「キリスト伝」 < James M. Stalker, The Life of Jesus Christ (1879). 東京:いのちのことば社, 1959, 2015.
ジェームズ・M・ストーカー「パウロ伝」 < James M. Stalker, The Life of St. Paul (1884). 東京:いのちのことば社, 1963.
舟喜順一監修 「聖書注解ー旧新約聖書全1巻」「エレミヤ」 pp. 617-649, 「使徒行伝」 pp. 915-57, 「ペテロの手紙I, II」 pp. 1158-79; 共訳(有賀寿)「箴言」 pp. 519-41, (村瀬俊夫)「マルコ」 pp. 819-54, (清信慎子)「ピリピ」 pp. 1058-65. 東京:みくに書店、1966.
D.M. ロイドジョーンズ 「教会の権威」東京 みくに書店、1966.
D.M. ロイドジョーンズ 「教会一致の基礎」東京 みくに書店、1967.
ジェームズ・M・ストーカー「キリストの最期:主の裁判と死についての瞑想」 < James M. Stalker, The Trial and Death of Jesus Christ – A Devotional History of our Lord’s Passion (1879). 東京:いのちのことば社, 1968, 2007.
シュムエル・ヨセフ・アグノン「丸ごとのパン; 操の誓い; テヒッラ; イドとエナム; 永遠に」 ノーベル賞文学全集15, pp. 215-397 < Shmuel Yosef Agnon, Pat shelema, Shevu’at ’emunim, Tehilla, Ido ve-Enam, ‘Ad ‘olam. 東京:主婦の友社. 1971.
R.E. クレメンツ 「近代旧約聖書研究史―ヴェルハウゼンから現代まで」 (聖書の研究シリーズ) < R.E. Clements, A Century of Old Testament Study (Lutterworth Press: Guildford and London, 1976). 東京:教文館、1978。
H.H. ベンサソン 「ユダヤ民族史」 < H.H. Ben-Sasson, History of the Jewish People (London, 1977), 3:中世篇I、4:中世篇II。東京:六興出版,1977.
アハロン・アッペルフェルド「バーデンハイム 1939」 < A. Appelfeld, Badenheim ‘ir nofesh (1975). 東京:みすず書房, 1996.
「ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記」. 東京:岩波書店、1997.
A. コーヘン 「タルムード入門 I」 < A. Cohen, Everyman’s Talmud (London, 1932). 東京:教文館, 1997.
関根正雄編「旧約聖書外典」上 (講談社文芸文庫)、「第一マカベア書」, pp. 15-130. 東京:講談社, 1998.
マルゲリート・ハーマー「折られた花:日本軍『慰安婦』ととされたオランダ人女性たちの声」 < Marguerite Hamer - Monod de Froidville, Geknakte bloem: Acht vrouwen vertellen hun verhaal over Japanse militaire dwangprostitutie (Delft, 2013). 東京:新教出版社, 2013.
「私のヴィア・ドロローサ:『大東亜戦争』の爪痕をアジアに訪ねて」. 東京:教文館, 2014.
2019年5月6日月曜日
天皇の交代とオランダ
オランダの代表的な全国紙、日刊紙であるNRCが五月二日の論説に平成天皇についての記事を発表しました。私はしばらく前からディジタル版しか読んでいないのですが、近所のオランダ人がこれをどう思うか、とその記事を回してくれました。それに対する私の回答の和訳をここに紹介します。
記事の中にある以下の箇所に疑義を呈したい。
「周知の通り、彼は謝罪をするところまではいかなかったが、彼の父の在任中に帝国軍隊が日本帝国の名において行ったところの多くの人権侵害に対して「悔悛」の情を表明したことは評価して良い」
これは私には初耳です。いつどこで平成天皇が「悔悛」の情を表明されたのか知りたく思います。この文脈においては「悔悛」という表現は正しくない、と愚考します。オランダ語の表現に「悔悛は罪の後に来る」というのがあります。平成天皇が「私は心に痛みを覚えます」という発言を何度となくされたことは周知のところです。12年ほど前にシンガポールに短期滞在した時、現地の英字新聞に、平成天皇が公式訪問された時の記事が出ていました。晩餐会の席上で、「前の戦争中に、シンガポールの皆さんが本当に辛い思いをされたことを考えますと胸が痛みます」、と発言された、とありました。これだったら、シンガポールを公式訪問したノルウェーの大統領でも言える、人道的な同情心の表明ではないだろうか。もし陛下が「私の父の兵隊たちのおかげで。。。」とおっしゃっておられたら、現地での反響はすざましかっただろうし、そういうニュースが日本で報道されていたら、現在の日本の政治的状況は全く違ったものになっているのではなかろうか、と思います。
何年か前に平成天皇の韓国訪問が話題になていた時、当時の韓国の大統領が「ただ、心が痛みます、と言うために来られるのだったら、ご足労には及びません」、と発言されました。
NRCのこの論説委員は日本政府が外国人向けに頒布した天皇の発言の英訳を引用しているのかもしれません。敗戦70年に当たって安倍首相が行なった声明があります。時の安倍内閣の合意のもとに行われた声明でした。その中に「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました」、とありますが、「反省」という単語が、同時に発表された駐日外国人報道関係者向けの英文にはここでオランダ人論説委員が使っている単語に相当する英語のremorseになっています。しかし、日本語の「反省」は、全国サッカー大会の決勝戦で負けたので、監督が選手全員を招集して反省会をしよう、というような時にも使われるもので、戦犯のような人道に悖る行為を自覚して改悛の情を表明する、というのとは全く違います。
2019年5月6日
記事の中にある以下の箇所に疑義を呈したい。
「周知の通り、彼は謝罪をするところまではいかなかったが、彼の父の在任中に帝国軍隊が日本帝国の名において行ったところの多くの人権侵害に対して「悔悛」の情を表明したことは評価して良い」
これは私には初耳です。いつどこで平成天皇が「悔悛」の情を表明されたのか知りたく思います。この文脈においては「悔悛」という表現は正しくない、と愚考します。オランダ語の表現に「悔悛は罪の後に来る」というのがあります。平成天皇が「私は心に痛みを覚えます」という発言を何度となくされたことは周知のところです。12年ほど前にシンガポールに短期滞在した時、現地の英字新聞に、平成天皇が公式訪問された時の記事が出ていました。晩餐会の席上で、「前の戦争中に、シンガポールの皆さんが本当に辛い思いをされたことを考えますと胸が痛みます」、と発言された、とありました。これだったら、シンガポールを公式訪問したノルウェーの大統領でも言える、人道的な同情心の表明ではないだろうか。もし陛下が「私の父の兵隊たちのおかげで。。。」とおっしゃっておられたら、現地での反響はすざましかっただろうし、そういうニュースが日本で報道されていたら、現在の日本の政治的状況は全く違ったものになっているのではなかろうか、と思います。
何年か前に平成天皇の韓国訪問が話題になていた時、当時の韓国の大統領が「ただ、心が痛みます、と言うために来られるのだったら、ご足労には及びません」、と発言されました。
NRCのこの論説委員は日本政府が外国人向けに頒布した天皇の発言の英訳を引用しているのかもしれません。敗戦70年に当たって安倍首相が行なった声明があります。時の安倍内閣の合意のもとに行われた声明でした。その中に「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました」、とありますが、「反省」という単語が、同時に発表された駐日外国人報道関係者向けの英文にはここでオランダ人論説委員が使っている単語に相当する英語のremorseになっています。しかし、日本語の「反省」は、全国サッカー大会の決勝戦で負けたので、監督が選手全員を招集して反省会をしよう、というような時にも使われるもので、戦犯のような人道に悖る行為を自覚して改悛の情を表明する、というのとは全く違います。
2019年5月6日
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