数日前に日本を愛するキリスト者の会という団体から4月22日に大阪で開かれる講演会の案内がメールで舞い込みました。私はこの団体の存在は知っていましたが、会員でもなく、以前、団体の趣旨についてメールで問い合わせたので私の宛名が向こうに残っているのかもしれません。
講演者の一人、黒田禎一郎牧師は前世紀の90年代にオランダの日本語教会がヨーロッパの日本人クリスチャンのための夏の集いを主催した時に講師の一人でした。今回の演題は「日本人よ、自信を持ちなさい」です。団体の趣旨からして、講演の中身もおおよそ見当がつきます。この団体は、戦後の日本の教会は前世紀の日本がやった悪いことだけを強調する、自虐史観に影響されすぎているが、日本の歴史、日本人には良い面もたくさんある、それは日本が神様に愛されているからだ、と主張します。私も日本文化や日本の近代史に優れたところがあることは認めます。しかし、日本の歴史の負の部分も認めるのだったら、それを正直に、誠実に、勇気をもって正視することなしに、つまり神の前に罪をきちんと処理することなしに、「キリスト者の会」を名乗ることができるのでしょうか?内村鑑三のように、二つのJ、つまりJesusとJapanを愛する日本人クリスチャンになりたいものです。
もう一人の講演者久保有政牧師の演題は「聖書の人種平等の教えを実現させた日本」です。この分野においても、日本は諸手を挙げて世界に誇ることはできません。聖書が日本人に知られるようになった近代において日本は国内でも国外でも人種差別をしてきたことは誰しも否定できません。クリスチャンではありませんでしたが、聖書の思想には無縁ではなかった文豪島崎藤村の「破戒」が部落差別を背景にしていることは周知のところです。関東大震災の時に単なるデマに扇動されて日本にいた朝鮮人や中国人を殴り殺したのも人種差別が根底にあったでしょう。戦前は朝鮮人は「半島人」として、中国人は「支那んチャンコロ」として軽蔑されました。15年にわたる日中戦争の間に日本が中国で重ねた悪行も日本人が中国人を神の前に平等な人種だと認めていたら起こり得なかったでしょう。
いまだに「ヘイトスピーチ」なるものが日本ではまかり通っているのではないでしょうか。人種差別以外の何物でもありません。
過去数年、鹿児島の郷里に戻ると、必ず、中学時代の英語の先生にお会いすることにしています。先月も90歳になられた先生にお会いしてきました。先生は私の郷里の中学校が初任地で、何年か務められた後、昇任の話が持ち上がり、そのためには別な学校に転勤しなければならない、ということでした。しかし、先生は私の郷里の部落民たちと親しい交流をしておられ、彼らから、転勤はしないでください、と懇請され、平教員として定年退職を迎えられました。最後の審判の時、「私たちがいつ先生にそんな親切をしてあげましたでしょうか』と訝る信徒たちに対して、「どうでもいいような、下積みのこの人たちに対して君たちがしてやったことは私に対してしてくれたのと同じなのだ」と教えられたイエス様のことを思い出します。郷里の英語の先生は聖書は少しはご存知でしょうが、クリスチャンではありません。
12.03.2017