2019年2月10日日曜日

平成天皇の海外訪問

  先日、朝日新聞の編集委員の一人である北野氏から、昨年の10月3日から今月の4日まで、何度か朝日新聞に平成天皇の海外訪問について書かれた記事を親切に送ってもらいました。何年か前に、天皇のオランダ訪問について取材に来られた時に訪問を受けたことがあります。
  その読後感を送りましたので、ここに貼り付けます。

北野さん
先日ご親切にお送りくださった一連の記事を拝読しました。

極めてデリケートな問題を根気よく追求された努力を多とします。最初のものが去年の10月3日掲載ですから、この連載ものを朝日が掲載し続けられた、ということには少し救われるような気がします。
北野さん自身随行されたわけではなく、関係者から直接、間接に情報を集められたもの、と推察します。

いくつか気についたこと、気にかかることを以下に書きとめます。

10・13日の記事に、村山談話の翌日藤井、沼田両氏が英国のテレビで、「英国人元捕虜も対象と首相が明言した」ということですが、この二人がそう発言したのであれば、そう長くもない談話をきちんと読んでいなかった、ということで、日本外交の恥です。BBCの担当者も談話の英語版を読まなかった、ということです。

その記事の最後に駐日英国大使を務められたコータツツイさんの発言が引用されていますが、胸にズシンと響きます。「今の天皇には戦争に直接の責任はない。しかし私の国民の間に感情のわだかまりがあるなら、国民とともに和解に取り組むことは、天皇のあるべき姿ではないか」、と言われたというのですよね。これが私にとっても最大の問題です。もう10年以上前にシンガポールに行った時、しばらく前に国賓として彼地を訪問された平成天皇が、天皇のためにもうけられた晩餐会の席上で、「戦争中にシンガポールの方の多くが大変苦しまれたことを思いますと深い心の痛みを覚えます」と発言された、ということが現地の英語の新聞記事に出ていました。同じ姿勢はいたるところで表明されたことが、北野さんのいくつかの記事にも出ています。私は、苛立たしさを禁じ得ませんでした。隔靴搔痒の感を免れません。右翼は天皇が謝罪するのは憲法違反である、というに決まっていますが、天皇ご自身がそう思っておられて、「戦争中にシンガポールの方の多くが私の父の兵隊たちのために大変苦しまれたことを思いますと深い心の痛みを覚えます」と仰っていたら、現地の反響は物凄かったでしょうし、そういう報道が東京に伝わっていたら、現今の日本の政治地図は全く違っているでしょうし、敗戦後70年以上経ってもなおアジアの孤児という惨めな姿からはとっくに脱し、安保理事会の常任理事国も何期か務めていたことでしょう。

基本的に同じことが昭和天皇についても言えます。外国や外国人の被害者に対してのみならず、日本国民に対しても、一度も謝られたことはないです。2年前に専門のヘブライ語やギリシャ語を無償で教えさせてもらうために、フィリッピンの人たちの前で話しましたが、1973年に、敗戦を知らずにフィリッピンのジャングルを逃げ回っていた小野田少尉が帰国した時、かつての戦友の一人が、「小野田君、一度皇居の庭に行ってごらん。ひょっとしたら、散歩に出てこられた陛下にお会いできるかも」と勧めたところ、天皇の赤子は「そんなことになったら、陛下はどうしてよいか戸惑われるかもしれない」、と言って断った、というのです。彼が戦友の言う通りにして、陛下にぱったり出会い、「閣下、小野田でございます」と切り出し、天皇が「小野田、悪かったな。赦してくれ」と言っておられたら、平成天皇も、一月のGlobeに書いておられる「御父の御心を」別な意味で心とされたことでしょう。世界戦略的な視野から、マッカーサが極東軍事裁判に昭和天皇を召喚しないことに決めたのは致命的な誤りでした。

長くなりました。


Takamitsu MURAOKA
村岡崇光