2018年2月16日金曜日

国際70人訳学会

                    近況
 
   私はもう40年以上、国際七十人訳学会の会員になっていますが、最近、その会員の一人でイギリスのケンブリッジ大学でそこで教えているDr J. Aitkenの指導のもとに博士論文に取り組んでいる若手のWilliam Ross氏から、毎年の国際七十人訳日に因んで私にインタビューさせてもらいたい、という連絡があり、その内容が去る2月8日Septuaginta &c: Greek Old Testament and Hebrew Bibleと題する彼のブログに掲載されました。英文ですので、和訳したものをここに掲載いたします。英文のブログは以下をお開きください。
https://williamaross.com/?p=3067&shareadraft=5a71938587ac8 
                             16.2.2018



  今日のインタビューの相手はオランダのライデン大学のヘブライ語ならびにヘブライ語文学、イスラエル古代事情、ウガリット語名誉教授の村岡崇光博士です。村岡氏は、古代語の学者の中では巨人であると言っても過言ではありません。彼自身が使っている表現を借用しますと、彼は長年に亘って「聖書語学のヴィアドロローサ(哀しみの道)」を歩き続けてきました。

   このインタビューが今日行われるというのはまことに時宜を得ています。村岡教授は明日80歳の誕生日を迎えられるということですから。御誕生日おめでとう御座います!

   村岡氏のこの分野における業績は量的に膨大であるだけでなく、非情な影響力を持っています。七十人訳研究以外の分野での業績を数点だけあげると

    Emphatic Words and Structures in Biblical Hebrew (1985)
    Modern Hebrew for Biblical Scholars (1982, 1995)
    A Greek-Hebrew/Aramaic Index to I Esdras (1984)
    Classical Syriac for Hebraists (1987, 2nd revised ed. 2013)
    A Grammar of Biblical Hebrew [translated and revised from Joüon’s grammar] (1991, 2006)
    Classical Syriac: A Basic Grammar with a Chrestomathy (1997, 2005)
    A Grammar of Egyptian Aramaic [with B. Porten] (1998, 2003) 
     Grammar of Qumran Aramaic (2011)
    An Introduction to Egyptian Aramaic (2012)
    A Biblical Aramaic Reader with an Outline Grammar (2015)
    A Biblical Hebrew Reader with an Outline Grammar (2017)

が念頭に浮かぶ。
   村岡氏にはもう一つ素晴らしい点がある。それは、彼が自分の家族に対して抱いている敬愛の情である。彼の著作の中の多くが家族の中の誰かに捧げられているところから読者には一目瞭然である。例えば、「クムランアラム語文法」は両親の村岡良江、村岡サチに献呈されている。「ギリシャ語ー英語七十人訳聖書辞典」(2009)や「七十人訳ギリシャ語の構文論」(2016)などを含むいくつかは妻の村岡桂子に捧げられている。

   旧約学ならびに古代語研究の分野における村岡氏の占める位置がこれでは十分に明らかでないかのごとく、2017年9月、彼は英学士院から有名なバーキット賞を授与された。この賞は、英学士院によって毎年授与されるもので、19世紀の高名なケンブリッジの新訳学者F.C. Burkittの名にちなんだものである。この賞が彼の「ヘブライ語文法とその構文論、ならびに七十人訳の分野における卓越した業績」を認めて、村岡氏に授与されたのは極めて自然なことであった。

               インタビュー

1) どういうきっかけで七十人訳研究に興味を抱くに至ったのか、そのためにどういう訓練を受けたかを述べてくださいますか?
 
   東京教育大学(現筑波大学)の英文科で学士課程を修了してから方向転換して故関根正雄先生のところで学ぶことにしました。先生は聖書学、聖書語学の分野で日本はもちろん、世界的に令名が轟いていました。同じ教育大の言語学科に先生がいらしたことは僥倖でした。ギリシャ語、ヘブライ語の初歩を教えるのは気が進まない、と先生がおっしゃいましたので、独学で初級を収め、出席した最初のギリシャ語の講義ではプラトンの「ファイドン」、ヘブライ語の方はヨブ記に挑戦しました。
   関根先生の指導のもとにヘレニズム時代のギリシャ語におけるὡςに関する修士論文を書きましたが、そのために七十人訳と新約聖書に加えてギリシャ語のパピルスや碑文も検討しました。この修士論文をもとにして書いた短い論文が国際新約学関係の雑誌Novum Testamentum 8 (1964)に私の最初の学術論文として掲載されました。関根先生のところで博士課程で研究を続けていた時、イスラエル政府からの奨学金という形で二度目の僥倖に浴し、1964年にエルサレムに赴きました。そこで、ヘブライ語学者、セム語学者として高名の故ハイム・ラビン先生に出会い、そのご指導のもとに、ヘブライ語文法に関した問題を扱った博士論文を書くことになりました。先生に勧められて、ヘブライ大学で教えられていた実に多岐にわたる分野の授業にも出席しましたが、そのなかには故I.L. Seeligman先生のベンシラの書についての授業、故Sh. Talmon先生のエレミヤ書の授業もありました。同級生にEmanuel Tovもいました。故M. Goshen-Gottstein先生にはシリア語を教わりましたが、これは私が後日、七十人訳からシリア語に翻訳されたSyro-Hexaplaの研究などをする際の大事な土台となりました。

2) 33年にわたる大学での教授、研究の過程でこの分野にはどういう形で関わられましたか?

   私が奉職したマンチェスタ大学、メルボルン大学、ライデン大学では私の守備範囲はヘブライ語と関連セム語で、この三つの大学のいずれにも別個に古典学科がありました。わたしの聖書ヘブライ語の授業の中で、七十人訳を訳した人が現在の私たちが使うヘブライ語聖書と少し違ったテキストを使っていたのではないかと思われるような時にそのことに言及する以外、ギリシャ語そのものを教えたことはありません。しかし、その33年の間、ギリシャ語聖書に対する関心は持ち続けていましたが、七十人訳は暇のできた時にやるという程度でした。   
   そのような周辺的な研究の一環として、1984年に、シドニー大学のDr John A.L. Lee氏と十二預言書の七十人訳の本格的な希英辞書の出版を目指した共同研究に着手しました。リー氏は途中で降りましたが、この仕事は幸いに完成に漕ぎ着け、私がライデンに転勤した後、1993年に出版されました。その後、モーセ五書の資料をも取り入れた増補版が2002年に、2009年には七十人訳全部を網羅したものが出版されました。この三つの版はいずれもベルギーのルーヴァンのペータース社から出版されました。
   私は2003年に定年を迎え、ライデン大学の教授職を辞しましたので、それ以後はこの辞書の最終版の完成を目指して全力投球できたわけです。70年代の初めに、私がマンチェスタで教えた時Vetus Testamentum 20 (1970)という国際旧約学雑誌に投稿した小論がアメリカの故Orlinsky先生の目に留まったらしく、ヘルシンキで開催された国際七十人訳学会に出席するように声をかけられ、七十人訳研究に携わる学者の国際的な仲間に加えていただくことになりました。

   60年代にまだエルサレムにいた頃、私がHatch and Redpathの分厚い七十人訳語彙索引をしょっちゅうめくっているのに同情した妻が、このヘブライ語あるいはアラム語の単語はどういうギリシャ語で訳されているかをさっと調べられるようになっているはずの索引が、問題のギリシャ語をあげずに、索引のどこのページの三つあるうちのどの欄を見ればわかる、としか出てない不備を正すために、ただの数字を実際のギリシャ語に書き直した、A4サイズで508ページ、綺麗に手書きされたものを作ってくれて大助かりしました。これは、その後、1998年に、アメリカで出版され、のちに語彙索引にも組み込まれて出版されました。この仕事の副産物として2010年に、A Greek - Hebrew / Aramaic Two-way Index to the Septuagint (2010)が出版されました。七十人訳研究の分野における私の著作でもう一つ重要なものは2016年に出版されたA Syntax of Septuagint Greekという、ギリシャ語の構文論に関する、A4サイズで900ページ余りの著作です。
   アジア人として2017年に初めてバーキット賞を受賞した者として申し上げたいのですが、私は70年代に旧新約聖書の外典・偽典の日本語訳出版という企画に参加し、私はベンシラの書、第一エズラ、エノク書、ヨベル書などを担当し、新教出版社から出ました。

3) 七十人訳研究を、教授としての自分の仕事にどのように組み入れましたか?

   2)の項での私の回答を参照してください。私が教えた三つの大学で、七十人訳にあまり時間を費やすのは私の雇用者に対して申し訳なかったでしょう。

4) 先生がこの分野に関わられるようになってから、変化が見られましたか?
   
   過去数十年間に亘って、七十人訳の受容の歴史、それがどう成立したかでなく、一旦できたものがどのように受け止められてきたかということに対する関心が高まってきたのがそれです。私の辞書やその他のいくつかの出版物もこの流れに沿うものです。

5) 今後もう少し研究されても良いのではないか、と思われるような分野、研究テーマはあるでしょうか?

   セム語の影響を受けた現象としてのセム語法だけでなく、七十人訳と新約聖書との入念な検討が必要でしょう。初代教会の旧約聖書は七十人訳だったんですから、これは当然です。七十人訳に親しめば親しんだだけ、新約聖書もより深く、正確に理解できるようになります。

6) 現在は七十人訳の分野ではどういう仕事をしておられますか?

   ドイツにおられる日本人の知人と士師記の七十人訳のアンテオケヤ版の出版に向けて共同で仕事を進めています。それ以外は、七十人訳ギリシャ語の構文論も出してもらいましたので、一息入れているところで、2011年に出版してもらったA Grammar of Qumran Aramaicに対応するものとして、死海写本のヘブライ語の包括的な構文論の著作を進めています。

7) 七十人訳研究は将来どういう風になっていくでしょうか?

   この研究分野は今なお大きく開かれています。死海写本の中に聖書の写本も出てきて、旧約聖書の本文研究は一段と複雑になってきました。辞書を作った時、欲を言えば古典ギリシャ語や同時代のギリシャ語文献をもっと丁寧に比較、参照できたらよかったのですが、その余裕がありませんでした。七十人訳と新約聖書を文法、語彙の面から徹底的に研究することは今後の大事な課題だと思います。