14.11.2017
オランダ、ウーフストヘースト
「私たちの神様は忘れっぽいお方だろうか?」
2017年11月12日、追悼の日曜日、フォールスホーテンの英国教会での説教
エレミヤ31:27−34; コリント後書5:16−21
村岡崇光
前世紀の二度の世界大戦で私たちが誰を、何を失ったかに想いをいたす追悼の日曜日がまた巡ってきました。第一次世界大戦では、一般市民を入れて、英国だけでも1,011,687人の死者です。第二次大戦では450、900人でした。合わせて1,462,587人になります。オランダは第一次大戦では犠牲者は出ていませんが、第二次大戦が終わった時は210,000人の戦死者を哀みました。私たちの聖ジェイムズ教会にはいろいろな国の人が関係していますから、世界全体の戦死者を見ますと、第一次大戦では15,486,153人、第二次大戦では70,000,000人の犠牲者です。客観的に正確な統計はありませんので、申し上げた数字は少なく目に見積もった推定です。第二次大戦の犠牲者数の中にはナチスに虐殺された600万人のユダヤ人は入っていません。また、戦争の直接の結果としての負傷者も含まれていません。私たちクリスチャンはどうしたら良いのでしょうか? 「平和を生み出すものは幸いである。そういう人は神の子と呼ばれよう」とイエスは言われました。ここで言われている「平和」とは、私たちと神の間の平和、あるいは隣人との平和に限らず、武力抗争、戦争が無いことをも指します。私たちは神の子ではないんでしょうか? 神の子になりたくはないんでしょうか? イエスを失望させないためには私たちは何をすべきなんでしょうか? 今やっていることでやめたほうがいいことはないんでしょうか? 私たちが持っている貴重な投票権を正しい候補者のために投じたでしょうか? 大量破壊兵器を生産している会社の株を持っていたら売り払ったでしょうか?
来年は第一次世界大戦終結100年目になります。しかし、たったの21年後には第二次世界大戦争が勃発しました。ドイツの哲学者ヘーゲルは「我々が歴史から学ぶのは我々は歴史から何も学び取っていない、ということである」と言いました。インドのガンディーも同じような発言をしました。二つの大戦を挟む20年の間に人類が学んだのは、敵を前回より能率的に、大量に殺す新しい、素晴らしい技術、武器の作り方を学んだのである」と言ったら皮肉に過ぎるでしょうか? 今年の夏、テルアビブ大学で開かれた会合の席上で、イスラエルのネタニヤフ首相は「大陸間弾道技術は我が国の安全上必須であるのみならず、結構な収入をもたらす産業である」と豪語して満場の熱狂的な喝采を浴びたそうです。こういう人が、先ほど引用しましたイエスの発言された町で国を治めているのです。なんと悲しく、情けないことでしょう!
今朝の礼拝は私たち夫婦にとっては格別な意味を持っています。追悼の日曜日に、日本人で、神学校も出ていない私に説教を依頼されたのは偶然ではないでしょう。私たちはオランダ在住すでに26年、その気になればオランダ国籍をもらえるのですが、敢えて日本国籍のままです。この日には、私たちも戦争で亡くなられた3百万の同胞、その中には私の生まれた広島、また長崎に投下されて即死された11万人の方たちに哀悼の意を捧げます。しかし、日本が始めた太平洋戦争の結果としてそれをはるかに上回る犠牲者が連合軍の兵士たち、アジア太平洋地域の人々の間に出たことを私たちは忘れられません。そういった犠牲者の中には、戦闘中に亡くなられた兵士でない人たちがあまりにも多すぎます。先月第一日曜日の礼拝のなかで、今年私が英学士院から授与されたバーキット賞についてみなさんにお話したときに、私のヴィアドロローサ、「悲しみの道」、は今から40年前の追悼の日曜日、マンチェスターで映画「クワイ川にかかる橋」をテレビで観たときに始まった、と申し上げました。日本軍が英軍捕虜たちにどんなひどい犠牲を不当に強いたかをこの時初めて知ったのでした。6万人を超える連合軍捕虜が日本軍のために泰緬鉄道建設に、恐ろしい、非人間的な状態で、国際法に違反して使役され、3万人ほどの英軍捕虜の中から6,904人の死者を出しました。18,000人余りのオランダ人捕虜の中からは3、000人近くが犠牲となりました。日本政府は、今日に至るも、公式の謝罪も補償もしていません。タイのカンチャナブリに、生き延びた捕虜たちが、犠牲となった12,621人の戦友のために記念碑を建て、一人一人の名前を刻み、一番下に「私たちはあなた方を赦すが、決して忘れることはしない」と短く書いてあります。
みなさんの中には、今日の聖書箇所はどうなっているんだろう、と訝っておられる方があるかもしれません。まことにごもっともです。私の話はエレミヤ31章に焦点を合わせます。先ほど申しました碑文のことを伝え聞いた日本の牧師さんが、「私たちの罪を赦して、あとは忘れてくださる私たちの神様ってなんて素晴らしいんだ!」と言われました。でも、本当にそうなんでしょうか? むしろ逆に、アモス8:7には「主はヤコブの誇りをさして誓われた: 私は彼らの全てのわざをいつまでも、決して忘れない」とあります。「彼らのわざ」とはイスラエルが犯した罪のことです。別な時に、神は「荒野で君たちがどんなに私を怒らせたかを記憶にとどめておき、決して忘れてはならない」と言われました(申命9:6)。私たちの神はアルファであり、オメガである、とも言われています(黙示録1:8)。つまり、歴史の第1章は神が始められ、最終章は神がしめくくられるのです。歴史の神です。私たちが犯し、その後赦していただいたことを記録したものには、当該ページに線が斜めに引いてあるかもしれませんが、訂正液で白く塗りつぶしてはないはずです。わたしたちが真心から告白して赦していただいた過去の罪を神様はまたぞろ持ち出して、私たちをいじめることはなさいません。でも、私たちの罪は消去されることはなく、変な好奇心で覗き見しようとする人の目につかないところにしまってあります。英語のForgive and forgetというのは頭韻を踏んでいて、耳障りはいいですが、聖書の教えには真っ向から対立します。神様は罪を赦して、そのあとは忘れてくださる、と思い込むとしたら、それは安っぽい恵みの教理です。私たちのために十字架上で流されたキリストの血を私たちは安売りは出来ません。この血が流された十字架は神の持っておられる二つの顔を視覚的にはっきり示しています:正義の神と愛の神です。神の正義の要求するところと神の愛の要求するところが十字架の上で交差し、出会ったのです。同じ思想は「慈愛と真実とは歩み寄り、正義と平和は手を取り合った」(詩篇85:10)にも出ています。ここの「真実」とは私たちの過去の罪のことを指しているのでしょう。こういうふうに考えますと、クワイ川のたもとの記念碑に書かれていることは聖書の教えに合致します。記念碑を建てた人たちは、私たちが被った苦しみは決して忘れられないぐらいひどいものであった、と言おうとしているだけでなく、この歴史は永久に忘れてはならない、というのでしょう。
でも、今朝のエレミヤ31章の箇所の最後には「私は彼らの罪を赦し、もはやその罪を思わない」(34節)と書いてあるのと違いませんか、と言われるかもしれません。私たちの神様はぼけ始められたんでしょうか? でも、「もはやその罪を思わない」、というのは一時的記憶喪失のことではなく、ご自分で覚えておられることに応じて行動されない、という意味です。同じことは、パロの高官について「彼はヨセフのことを思わず、忘れた」(創世40:23)についても言えます。ちょっと失念した、というのでなく、意図的に無視した、忘恩のことです。私たちの神様は、慢性のあるいは一時的な記憶喪失症を患われることはありません。神様の記憶力は完璧、無限大です。
ここで「思う」とか「覚える」とか訳されているヘブライ語の動詞は「暗記する、メモリスティックに入れておく」という意味ではなく、覚えているところに応じて行動する、という意味です。私たちは祈りを通して、神様の記憶を呼び覚まし、何かしてくださるようにお願いできます。サムソンは八方ふさがりの場に追い込まれた時、「主なる神様、私のことを覚えてください。もう一度だけ、私のことを覚え、私がこの場を乗り切れる力をください」(士師16:28)と祈りますと、神様は応答してくださり、自分のことを嘲笑って眺めていた観衆は崩れ落ちた劇場の屋根の下敷きになって全滅しました。瀕死の病の床にあったヒゼキヤ王は「主よ、私が貴方様の前でどういう生き方をしてきたか、正直に誠実に生きてきたことを覚えてください」と哀願して、男泣きに泣きました(イザヤ38:3)。すると、神様は、時計の針を後戻りさせて、王の死を15年遅らせてくださいました。主イエスも優れた例を示してくださったのではないでしょうか? 十字架上での辞世の言葉の七つのうちの一つは「エリ、エリ、レマシュバクタニ(わが神、わが神、何故我を見放し給えりや?」(マタイ27:46)でした。
私たちが自分の赦された罪の大きさを思い出す時、神様に本当に感謝することができますし、赦しの道が開かれるように、己を捨てて十字架上で死んでくださったキリストの名を心から褒め称えることができます。
記憶とは教育、学習の道でもあります。エレミヤ31章で「先祖が酸っぱいぶどうを食べたので、子孫の歯が浮くようになる」(29節)という諺が引用されています。そういうことがエレミヤの時代に教えられていたのです。しかし、この諺は「私は妬み深い神であり、先祖の罪を私を憎む者どもには第3代、いや第4代にも報いる」とモーセの十戒にある(出エジ20:11)のを誤解して、神様を、濡れ衣を着せる全く不公平なお方にしてしまっているのです。エレミヤの時代の同胞たちは神様が別なところで「父親が子供の罪のために死刑にされることがあってはならない。子供が父親の罪のために死刑にされてはいけない。死刑にされるとしたら自分の罪のためでなければならない」(申命24:16)、とおっしゃっているのを見落としたのでしょう。エレミヤが30節で云っているのがまさにそれです:「これからは死刑にされる場合は誰しもが自分の犯した不義のせいである。酸っぱいぶどうを食べれば誰しも歯が浮くのである」。ですから、親は自分の霊的な過去を子供に正しく伝え、子供は親の誤りについてきちんと教えられ、そこからしかるべき教訓を引き出さなければならないのです。歴史修正主義者は放逐されるべきです。イスラエルの学校の聖書の時間には改定もしてなければ、検閲もしてない旧約聖書を教えます。こんな話はあまり読みたくない、というようなところも少なくありません。誰かと一晩中取っ組み合って勝って故郷を目指すヤコブは深夜の格闘で相手が腿のところを殴ったので、足を引きずっていたとあり、それがためにこの話がだいぶ後になって書かれたときにも彼の子孫は動物の足のその部分は食べなかった、と書いてあります(創世32:32−33)。今のユダヤ人に取っても動物の腿の関節の上にある腰の筋はコシェルでない、として食べないでしょう。この格闘に勝ったヤコブはあまり自慢にならない「ヤコブ」というのの代わりに「イスラエル」というもっと立派な名をもらいましたけど、神様は後々まで「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と呼ばれます。イスラエル民族は確かに輝かしい歴史を誇ることができますが、その歴史にはあちこちに暗い影が射しています。
エレミヤはここで「新しい契約」について語りますが、モーセの十戒に込められている「古い契約」がこれですたるのではありません。中身は変わりません。古い契約は2枚の石の板(タブレット)に刻んでありましたが、新しい契約は私ども一人一人の心に刻まれるのです。一昔前までは、重い聖書を持って日曜礼拝に出ましたが、今は、説教が始まったら、胸のポケットから、ハンドバッグからサムスンのタブレットを出して、スイッチを入れ、「エレミヤ31」を押せば聖書の箇所がパッと目の前に現れます。エレミヤより何百年後に、イエスキリストは「私が来たのは律法と預言書を廃棄するためではなく、それを本当の意味で完全に実践するためである、と思っておいてもらいたい」(マタイ5:17)と仰せられました。
今年の初め、フィリッピンで教えさせてもらった時、生徒の中にインド人がいました。彼はマドラスの神学校で教えているんですが、フィリッピンで博士課程に入っていました。彼から、2019年に彼の神学校でヘブライ語を教えてもらいたい、と説得させられました。泰緬鉄道の建設には連合軍捕虜の他にアジア各地から連れてこられた20万人以上の強制労働者があり、その中にインド人もいたことはぼんやりとは知っていたのですが、具体的な事実を知りませんでした。数年前に封切りになった英豪合作の「レイルウェイ 運命の旅路」という映画のもとになっているエリック・ロウマックスの自叙伝を先月再読しました。スコットランド出身のこの英国兵も日本軍捕虜になって泰緬鉄道で辛酸を舐めさせられ、日本人に対する怒りと憎しみに燃えていました。その本の中に、ある時彼のいた捕虜収容所のインドのタミール人労働者たちの間にマラリヤが蔓延したのですが、日本軍の指導層が最も効果的な治療法として考えついたのは、患者を全員射殺し、死体を焼却する、というのだったそうです。みなさんお分かりの通り、私はいまでもヘブライ語やギリシャ語だけでなく、自国の歴史についても学び続けています。
ここまでのところで触れなかったことについてお話しさせていただいて締めくくることにします。不当に加えられた被害、傷、つまり罪について語りました。そういうことを行った加害者に焦点を合わせました。しかし、犠牲者も自分が被った被害を記憶する必要があると思います。ここで申し上げている被害は、津波とか地震などのような、人間の手には負えない天災のことではなく、第三者によって意図的に加えられた不正行為のことです。過去に舐めさせられた苦痛はあっさり忘れ、水に流し、前向きの姿勢でいく、たとえ加害者が未だに悔いて謝罪することをしなくても、いい顔してあげ、赦して、恨みは忘れ、仲良くしていきたい、というのはもっともな人情です。精神療法としては素晴らしい効果を発揮するかもしれません。復讐したい、という本能的な衝動を乗り越えられる、というのは賞賛に値することです。でも、正義の神様はそういう解決法をよしとされません。「人間の罪を本当に赦せるのは神様だけと違いますか?」とイエス様に抗議したパリサイ人たちはある意味では正しかったのです。どんなに辛くとも、加害者と被害者は一緒に、勇気をもって、誠実に過去に向き合ったうえで、一方が他方を赦して初めて本物の和解が成立します。
ドイツの故ワイツゼッカー大統領はナチス党員で戦争犯罪で裁判にかけられた父を持つ人でしたが、ドイツ敗戦40年目の1985年5月8日、ドイツ国会で「荒野の40年」という有名な演説をした時、18世紀のユダヤ人ラビから引用しながら、「忘れようとすれば捕囚はそれだけ長引くだけである。救いの本当の鍵は記憶にある」、と言いました。この文句はエルサレムにあるナチスによるユダヤ人大量虐殺を記念するヤドヴァッシェームの出口のところの碑に刻まれています。この原則は、加害者のみならず、被害者も心に刻んでおく必要があります。