2017年10月24日火曜日

私のこれまでの発表論文・著書

  これまで60年近く、与えられた時間、資産のかなりの部分を研究、著作にかけてきました。その営みに対する責任をとるという意味でも、これまで私が日本語で書いたもので公に出版されたものにどういうものがあるかを網羅的に公表することにしました。これまでも、世界的な道場で仕事をしてきましたが、日本語の著作は多少はあり、それを通して日本のキリスト教会、関連学会、あるいは一般読者との交流を求めようとしてきたことを読み取っていただけるかと思います。

  ここに公表した情報は本日(2017年10月24日)時点で該当するものを網羅しています。ごく少数ですが、日本で発表されたものの中に英文のものもありますが、ここには出しませんでした。

出版発表作品
(日本語の著作に限定)

 村岡崇光

I) オリジナル、非翻訳

Ia) 単行本
+ 土岐健治 「イエスは何語を話したか? 新約時代の言語状況と聖書翻訳についての考察」: II 「イエスと聖書翻訳 タルグム」, pp. 93-122. 東京:教文館、2016。

Ib) 単行本中あるいは叢書の一部
「士師たちの時代」、関根正雄(監修)『聖書の世界』 第2巻, 旧約 II, pp. 67-124; 「エズラ・ネヘミヤ時代」 第3巻, 旧約 III, pp. 177-216, 308-13, 「マカベア時代」, pp. 217-302, 313-15. 東京:講談社, 1970.
日本聖書学研究所編:「聖書外典偽典」(9巻) 「第一エズラ書」 1.19-66, 299-318; 「ベン・シラの知恵」 2.67-207, 361-510; 「ヨベル書」 4.3-158, 293-338, 「エチオピア語エノク書」 159−292, 339-89、 「シリア語バルク黙示録」 5.67-154, 367-402、 「使徒たちの手紙」  9.39-82, 397-422, 「預言者イザヤの殉教と昇天」 167-203, 446-67, 「ペテロの黙示録」 205−34, 468-74. 東京:教文館, 1975-82。
「シリア教会」、前嶋信次+(編)『オリエント史講座』 3「渦巻く宗教」, pp. 177-199; 「エチオピア教会」、pp. 290-304. 東京:学生社、昭和1982。
「七十人訳聖書」, 井筒俊彦+(編)『東洋思想』 I 147-86. 東京:岩波書店、1988。
「聖書の言語」、pp. 13-34, 鍋谷堯爾+(監修)「聖書神学事典」。東京:いのちのことば社、2010。
「アララク、エブラ、オストラカ、カトナ、ギルガメシュ叙事詩、楔形文字、クムラン文書、シロアム碑文、聖刻文字、聖書の言語(旧約)、聖書の言語(新約)、トーラー、粘土板、ヘルメス文書、ミシュナ、ムラトリ断片、モアブの碑石、ラス・シャムラ、ロゼッタ碑石」、泉田昭+(編)「新聖書事典」。東京:いのちのことば社、2014。

Ic) 論文
「パレスチナ系ユダヤ人アラム語の研究」、日本聖書学研究所編『聖書の思想・歴史・言語:関根正雄教授還暦記念論文集』, pp. 203-33. 東京:山本書店、1972.
「『ベン・シラの知恵』和訳に寄せて」 『福音主義神学 8 (1977)』 22−41。
「後期古典ベブライ語における名詞文」、日本聖書学研究所編「聖書の使信と伝達:関根正雄先生喜寿記念論文集」, pp. 318-38. 東京:山本書店、1989。
「古典ヘブライ語意味論研究の最近の動向」、『旧約釈義研究』(EXEGETICA) 9 (1998) 37-45.

II) 翻訳
ジェームズ・M・ストーカー「キリスト伝」 < James M. Stalker, The Life of Jesus Christ (1879). 東京:いのちのことば社, 1959, 2015.
ジェームズ・M・ストーカー「パウロ伝」 < James M. Stalker, The Life of St. Paul (1884). 東京:いのちのことば社, 1963.
舟喜順一監修 「聖書注解ー旧新約聖書全1巻」「エレミヤ」 pp. 617-649, 「使徒行伝」 pp. 915-57, 「ペテロの手紙I, II」 pp. 1158-79; 共訳(有賀寿)「箴言」 pp. 519-41, (村瀬俊夫)「マルコ」 pp. 819-54, (清信慎子)「ピリピ」 pp. 1058-65. 東京:みくに書店、1966.
ジェームズ・M・ストーカー「キリストの最期:主の裁判と死についての瞑想」 < James M. Stalker, The Trial and Death of Jesus Christ – A Devotional History of our Lord’s Passion (1879). 東京:いのちのことば社, 1968, 2007.
シュムエル・ヨセフ・アグノン「丸ごとのパン; 操の誓い; テヒッラ; イドとエナム; 永遠に」 ノーベル賞文学全集15, pp. 215-397 < Shmuel Yosef Agnon, Pat shelema, Shevu’at ’emunim, Tehilla, Ido ve-Enam, ‘Ad ‘olam. 東京:主婦の友社. 1971.
R.E. クレメンツ 「近代旧約聖書研究史―ヴェルハウゼンから現代まで」 (聖書の研究シリーズ) < R.E. Clements, A Century of Old Testament Study (Lutterworth Press: Guildford and London, 1976). 東京:教文館、1978。
H.H. ベンサソン 「ユダヤ民族史」 < H.H. Ben-Sasson, History of the Jewish People (London, 1977), 3:中世篇I、4:中世篇II。東京:六興出版,1977.
アハロン・アッペルフェルド「バーデンハイム 1939」 < A. Appelfeld, Badenheim ‘ir nofesh (1975). 東京:みすず書房, 1996.
「ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記」. 東京:岩波書店、1997.
A. コーヘン 「タルムード入門 I」 < A. Cohen, Everyman’s Talmud (London, 1932). 東京:教文館, 1997.
関根正雄編「旧約聖書外典」上 (講談社文芸文庫)、「第一マカベア書」, pp. 15-130. 東京:講談社, 1998.
マルゲリート・ハーマー「折られた花:日本軍『慰安婦』ととされたオランダ人女性たちの声」 < Marguerite Hamer - Monod de Froidville, Geknakte bloem: Acht vrouwen vertellen hun verhaal over Japanse militaire dwangprostitutie (Delft, 2013). 東京:新教出版社, 2013.

「私のヴィア・ドロローサ:『大東亜戦争』の爪痕をアジアに訪ねて」. 東京:教文館, 2014.

2017年10月10日火曜日

バーキット賞受賞

みなさん

最近私の身の回りに起こったことをお知らせしたく思います。

実は、三ヶ月ほど前に、まったく予期しない連絡を英国学士院から受けとりました。フランシス•クローファッド•バーキット Francis Crawford Burkitt(1864−1935)は新約聖書の本文並びに東方教会の研究で目覚ましい貢献をしたケンブリッジ大学の教授でしたが、その業績を記念するために、聖書学の分野で著しい貢献をした学者にこのメダルを英国学士院が出すことになり、1925年から旧約学と新約学隔年で、今年は旧約学にメダルが出る年でした。
一昨日(木曜)の夕方、ロンドンの英国学士院で私のヘブライ語学並びに七十人訳(旧約聖書の古いギリシャ語訳)研究を極めて重要な業績を認めて、Burkitt medalという賞を受け取るための授賞式に出席しました。人文学関係の色々な分野の20名ほどの受賞者も同席しておられました。受賞者は一人2分の挨拶をすることが許され、二人までは同伴者がいても良いということで、妻と、ロンドンにいる娘が同席しました。私の英語での挨拶の和訳は:

「私の学者としての生涯は1970年に英国マンチェスター大学のセム語講師として任命された時にさかのぼりますが、その年の11月第2日曜の夕方、テレビのスイッチを入れたところBBC2が「戦場にかける橋」という有名な映画を放映していました。祖国の歴史のこの暗いページに気がついたのはこの時が初めてでした。三ヶ月ほど前に、英学士院から今年のバーキット•メダルを授与することになったという驚くべき通知をいただいきましたが、過去の受賞者の名前を辿って行った時、私は、チャールズ•ウェズリ作詞の有名な賛美歌の替え歌を書いてみたい強い衝動に駆られ、こういうものを考えました:「イギリス人に計り知れない痛みを与え、多くを過酷な死に追いやった民族の子孫である私がバーキット•メダルをいただけるなどということが可能なのでしょうか? 私ごときがこの栄誉にふさわしいとお考えくださったとは、これは驚くべき恵みとしか言えません」。英学士院の会員の中には、ご自分の父を、叔父を、あるいは祖父をこの戦争犯罪の犠牲者としてなくされた方がおられてもおかしくありません。このメダルを頂戴したことで、私がこれまで歩んできた聖書語学、文献学というヴィアドロローサを今後も歩み続ける覚悟がさらに固まりました。でも、一人でではなく、妻子達の支援を得つつ、上から、『村岡、使命完了』という声がかかるまで歩み続けるつもりです。誠にありがとうございました」

時間の制限もありこれ以上は言えませんでしたし、列席者の大部分が英国人で詳しく言わなくてもわかっていただけただろうという事情もありました。でも、少し敷衍します。
映画「戦場にかける橋」は1957年の米英合作で、日本人俳優早川雪洲も出演しましたが、太平洋戦争中、日本軍が、国際法を無視して、連合軍の捕虜を使役してタイからビルマに及ぶ全長415キロの鉄道(泰緬鉄道)を建設するという難工事で、その過程で膨大な犠牲者が出ました。英国、オーストラリア、米国、オランダの捕虜合計61,811人が使役され、うち12,621人死亡。英国兵だけでも、30,131人中6,904人死亡。このほかにも、正確な統計はないものの、20万をゆうに超える強制労働者が周辺の東南アジアから連行され、連合軍のそれをはるかに上回る死者が出た、と推測されています。この映画は、その線路の沿線でクワイ河に橋をかける工事に焦点を合わせています。英連邦王国では、今もなお、毎年11月第2日曜は「追悼の日曜日」と言われて、前世紀の二つの大戦での戦死者を追悼することになっており、それに関連したいろいろな行事が繰り広げられます。

授賞式に続くレセプションのとき、英国人の出席者の何人かが声をかけてくださり、私の挨拶にとても感銘を受けた、と言ってくださいました。その後、メールで同じような感想を伝えてこられた英国人も何人かあります。

私は、この受賞は、単に私個人の業績を英学士院が評価してくれた、ということだけではないのではないか、と思います。過去の受賞者の名前を見て気づいたのは、欧米の学者の名前は散見しましたが、アジア人での受賞者はこれまでに一人もなかった、ということでした。私個人の業績はもっぱら英語で発表されていますが、日本語のものも数点あります。現代語からの翻訳は除いても、たとえば、聖書外典、偽典(教文館1975)中の一部、岩波聖書(1997)中のダニエル、エズラ、ネヘミア書、論文数点。欧米に留学、博士号を取得して帰国されたり、博士論文や論文を英独仏語で発表される方が少なくない日本だけでなく、韓国その他、アジアの国々でも聖書の学問的な研究の水準が上がりつつあります。

挨拶の中に出てきますウェズリーの賛美歌は「賛美歌第二編」230番「わが主を十字架の」です。また、「ヴィアドロローサ」とは、イエスが磔の刑を宣告されてから刑場までご自分の十字架を担って歩かれた道を指す「悲しみの道」を意味するラテン語ですが、2003年にライデン大学を定年退職して以来、毎年、最低5週間、アジアでボランティアとして私の専門の科目を教えさせてもらっていることを日本聖書協会が評価してくれて、2014年聖書事業功労者として表彰された時に教文館から「私のヴィアドロローサ:『大東亜戦争』の爪痕をアジアに訪ねて」と題して出版された拙著の題に使った表現です。イスラエル留学のために日本を離れてすでに53年になりますが、国籍は今なお日本にあります。学問と政治は分けておいたほうが良いのではないか、と言ってくださる方もたまにありますが、私は学者である前に人間、日本人である、というのが私の立場です。

挨拶の中に、家族による支援に触れましたが、妻はお茶の水女子大で化学を学び、職業婦人としての道も選択できましたが、妻として、また、2年半おきに、しかも外国で生まれた三人の子供の母として、家庭の主婦に徹してきました。2009年出版の私の七十人訳辞書は彼女に捧げられており、「私のことをこんなに長いこと我慢してくれ、また私のために、私と共にこんなに苦労した妻桂子へ」と書きました。また、子供たちは、祖父母に甘えることもできず、イギリス(10年)、オーストラリア(11年)、そしてオランダというふうに私の職業的使命のために国から国へと渡り歩かされました。聖書語学並びに聖書の古代訳の研究者としての私は東京教育大時代の故関根政雄先生、ヘブライ大学での指導教官故ハイム•ラビン先生など、多数の先生、同僚、大学、研究所にお世話になりましたが、2011年出版の「クムラン•アラム語文法」は今はなき父母に献じました:「一人息子で長男の私が長年にわたって外国に住んで仕事をすることを辛抱してくれ、それがためにこの世での最期のお別れもできなかった不肖の息子より」、と書きました。


この賞には賞金はなく、青銅製の直径7センチの丸いメダルで、一面には「知の根源である神の言葉が私の歩みを導いてくれた」とあり、もう一面には聖書の一ページが開かれていて、「神の言葉は生きており、現に働いている」という聖句がラテン語で刻まれています。