安倍首相が現在開催中の国連で演説し、
「対話による問題解決の試みは一再ならず、無に帰した。なんの成算があって我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのか。必要なのは対話ではなく圧力だ。」
と発言した、と報道されています。でも、北鮮のキム氏と膝を交えて「対話」をするために、安倍首相をはじめ誰かが北鮮に出向いたことはありません。また、キム氏とどこか中立の土地で話しませんか、と声をかけた、というような記憶もありません。ここで必要なのは本当の対話です。しかし、これまであったのは、脅迫のやりとりでしかありませんでした。
21.09.2017
2017年9月21日木曜日
2017年9月17日日曜日
林えいだい氏逝く
北九州を中心に長年活躍してこられたノンフィクション作家林えいだいさんが9月1日83歳で他界された。林さんとは、オランダ人で太平洋戦争中にインドネシアで日本軍に不当な苦しみを受けた人たちに関する取材でお会いした事が数回ある。オランダ人の他にも、朝鮮人や、台湾の高砂族に対する加害の歴史を犠牲者に直接会い、被害現場に足を運んで書かれた著作が多い。林さんの生涯のモットーは「過去の歴史に学ぶ事をしない民族は確実に滅亡の道を歩んでいる」であった。
ここしばらく、日本のみならず、世界の情報機関から、北朝鮮をめぐるニュースがふんだんに流れ、日本には、ロケットの危機を真剣に憂慮している人たちが少なくないようである。日本を遠く離れて住む私がこういう事を言うのも気が引けないでもないけど、日本が滅亡するとしたら、それは朝鮮半島から飛んでくるロケットのせいではなく、戦後72年、依然として自分たちが始めた大東亜戦争のこと、その結末が何を教えているのかを学ぼうとせず、きちんと責任をとらないところから来るのではないだろうか。最近の国連安全保障理事会で北朝鮮に対する制裁が審議された時、米国は、石油の補給の全面停止を提案し、日本もそれに同調した。そのニュースを読みながら、トランプ大統領も、安倍首相も、日米両国が共有している歴史を知らない事にただ呆れるほかなかった。当時の連合国は米合衆国主導で日本に対する石油輸出の全面禁止を1941年8月に宣言したことが、日本が米国に攻撃を仕掛ける極めて便利な口実になった、ということは日米両国の多くの人が知っている初歩的な歴史の事実ではないのだろうか。幸いにも、安保理事会は、最終的には、当初の米国の案をかなり薄めた案を採択した。
3年前に、戦争中インドネシアにいたオランダ系の女性たちで日本軍の性奴隷となって言語に絶する苦しみを味わわされた女性たちの証言をもとにした本がマルゲリート・ハーマーによって書かれたものが出版され、私はそれをオランダ語から和訳して「折られた花:日本軍『慰安婦』とされたオランダ人女性たちの声」と題して、新教出版社から出してもらった。数日前に、ハーマーさんとある会合で会った時、この本が近々中国語に訳されて出版される事になった、と言われ、お祝いの言葉を申し上げ、オランダ語から訳せる人が見つかったんだろうか、と尋ねたところ、私の和訳から翻訳するそうだ、と言われた。中国で有名になりたいわけでは全くないけど、日本人で、日本現代史のこの暗い部分に真剣な関心を持つ日本人がいる事を中国の人たちが知ってくれる事は嬉しい事である。帰宅してから、数年前に買った班(バン)忠義著、「ガイサンシーとその姉妹たち」(2006年、梨の木舎出版)を再読した。著者は1958年に中国に生まれ、現地の大学で日本語を学び、その後、日本に留学して、日本人女性と結婚し、今なお日本在であるが、ひょんなことから、戦時中中国大陸で日本兵に性的屈辱を受けた初老の中国人女性数人と日本で知り合い、彼女らの故郷である山西省(北京の南西)に何度も足を運んで、犠牲者たちに会い、なかでも、当時山西省一の美人の令名の高かったガイサンシー(蓋山西)という、これも日本兵に散々に痛めつけられた女性を個人的に知っている人たちと会ったのであった。班さんがこの目的で最初に帰国した時は、彼女は故人となっていた。読みながら、手が震え、涙で目が曇る事が何度となくあった。犠牲者たちや、現地の古老たちの口から、問題の日本軍部隊の隊長の名前も確定でき、また、班さんは加害者の元日本兵をも自宅に訪ねて、証言を聞いた。しかし、戦後、監禁された中国人女性たちを陵辱した兵隊、指揮官の誰一人としてその責任を問われる事なく今日に至っている。彼らの総指揮官であった元帥陛下も責任を問われなかった。この本を再読している最中に、この本の事をグーグルしたところ、2014年に封切られた「黎明の眼」という中国映画にぶち当たり、妻も一緒に見たけれど、涙なしには見られなかった。中国人の中にも万を超える犠牲者がったのではないか、と推定されている。映画は犠牲者のおばあさんが南京の南京虐殺記念館の別館として最近できた慰安婦問題に焦点を絞った展示を見ている途中気絶するところから始まっている。私たちも、昨年南京を再訪した時に、この資料館にも行った。その時、1942年に公演された中国のオペラ「秋子」の背景になっている悲劇の女性のことは初めて知った。結婚直後に慰安婦として強制的に中国へ連れてこられたのであるが、召集令状を突きつけられて夫も中国戦線にわたり、ある日、駐屯地の慰安所で、足を踏み入れた部屋で自分の愛妻と鉢合わせになった、という実話を基にした作品である。「黎明の眼」の最後の場面を見て私は頭をコンピューターのスクリーンにぶっつけそうになった。大多数の中国人犠牲者が登場した後に、日本から慰安婦として連れてこられた女性が、ある夜自分の部屋に入ってきた若い日本兵から翌日、死にに行くに等しい作戦で出兵する事になっている、と聞かされて、気の毒に思い、本当に親身になって、精一杯「慰める」のであるが、事が終わって、彼の出身地を尋ねてみたところ、彼が小学生の頃に別れたっきりになっていた実の弟である事が判明したのであった。これも作り話のようには聞こえなかった。自分が日本人である事に絶望しそうな気がした。
17.09.2017
ここしばらく、日本のみならず、世界の情報機関から、北朝鮮をめぐるニュースがふんだんに流れ、日本には、ロケットの危機を真剣に憂慮している人たちが少なくないようである。日本を遠く離れて住む私がこういう事を言うのも気が引けないでもないけど、日本が滅亡するとしたら、それは朝鮮半島から飛んでくるロケットのせいではなく、戦後72年、依然として自分たちが始めた大東亜戦争のこと、その結末が何を教えているのかを学ぼうとせず、きちんと責任をとらないところから来るのではないだろうか。最近の国連安全保障理事会で北朝鮮に対する制裁が審議された時、米国は、石油の補給の全面停止を提案し、日本もそれに同調した。そのニュースを読みながら、トランプ大統領も、安倍首相も、日米両国が共有している歴史を知らない事にただ呆れるほかなかった。当時の連合国は米合衆国主導で日本に対する石油輸出の全面禁止を1941年8月に宣言したことが、日本が米国に攻撃を仕掛ける極めて便利な口実になった、ということは日米両国の多くの人が知っている初歩的な歴史の事実ではないのだろうか。幸いにも、安保理事会は、最終的には、当初の米国の案をかなり薄めた案を採択した。
3年前に、戦争中インドネシアにいたオランダ系の女性たちで日本軍の性奴隷となって言語に絶する苦しみを味わわされた女性たちの証言をもとにした本がマルゲリート・ハーマーによって書かれたものが出版され、私はそれをオランダ語から和訳して「折られた花:日本軍『慰安婦』とされたオランダ人女性たちの声」と題して、新教出版社から出してもらった。数日前に、ハーマーさんとある会合で会った時、この本が近々中国語に訳されて出版される事になった、と言われ、お祝いの言葉を申し上げ、オランダ語から訳せる人が見つかったんだろうか、と尋ねたところ、私の和訳から翻訳するそうだ、と言われた。中国で有名になりたいわけでは全くないけど、日本人で、日本現代史のこの暗い部分に真剣な関心を持つ日本人がいる事を中国の人たちが知ってくれる事は嬉しい事である。帰宅してから、数年前に買った班(バン)忠義著、「ガイサンシーとその姉妹たち」(2006年、梨の木舎出版)を再読した。著者は1958年に中国に生まれ、現地の大学で日本語を学び、その後、日本に留学して、日本人女性と結婚し、今なお日本在であるが、ひょんなことから、戦時中中国大陸で日本兵に性的屈辱を受けた初老の中国人女性数人と日本で知り合い、彼女らの故郷である山西省(北京の南西)に何度も足を運んで、犠牲者たちに会い、なかでも、当時山西省一の美人の令名の高かったガイサンシー(蓋山西)という、これも日本兵に散々に痛めつけられた女性を個人的に知っている人たちと会ったのであった。班さんがこの目的で最初に帰国した時は、彼女は故人となっていた。読みながら、手が震え、涙で目が曇る事が何度となくあった。犠牲者たちや、現地の古老たちの口から、問題の日本軍部隊の隊長の名前も確定でき、また、班さんは加害者の元日本兵をも自宅に訪ねて、証言を聞いた。しかし、戦後、監禁された中国人女性たちを陵辱した兵隊、指揮官の誰一人としてその責任を問われる事なく今日に至っている。彼らの総指揮官であった元帥陛下も責任を問われなかった。この本を再読している最中に、この本の事をグーグルしたところ、2014年に封切られた「黎明の眼」という中国映画にぶち当たり、妻も一緒に見たけれど、涙なしには見られなかった。中国人の中にも万を超える犠牲者がったのではないか、と推定されている。映画は犠牲者のおばあさんが南京の南京虐殺記念館の別館として最近できた慰安婦問題に焦点を絞った展示を見ている途中気絶するところから始まっている。私たちも、昨年南京を再訪した時に、この資料館にも行った。その時、1942年に公演された中国のオペラ「秋子」の背景になっている悲劇の女性のことは初めて知った。結婚直後に慰安婦として強制的に中国へ連れてこられたのであるが、召集令状を突きつけられて夫も中国戦線にわたり、ある日、駐屯地の慰安所で、足を踏み入れた部屋で自分の愛妻と鉢合わせになった、という実話を基にした作品である。「黎明の眼」の最後の場面を見て私は頭をコンピューターのスクリーンにぶっつけそうになった。大多数の中国人犠牲者が登場した後に、日本から慰安婦として連れてこられた女性が、ある夜自分の部屋に入ってきた若い日本兵から翌日、死にに行くに等しい作戦で出兵する事になっている、と聞かされて、気の毒に思い、本当に親身になって、精一杯「慰める」のであるが、事が終わって、彼の出身地を尋ねてみたところ、彼が小学生の頃に別れたっきりになっていた実の弟である事が判明したのであった。これも作り話のようには聞こえなかった。自分が日本人である事に絶望しそうな気がした。
17.09.2017
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